ホーム > 一次資料アーカイブ (Primary Sources) > 解説エッセイ集(日本語)> デジタルアーカイブとは?活用事例やメリット
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こちらの記事では、一次資料と二次資料の違いについて説明しました。次に、一次資料のデータベースである「デジタルアーカイブ」について、もう少し掘り下げて説明しましょう。
まず、デジタルアーカイブとは何でしょうか。先に、一次資料と二次資料の違いについて説明しましたが、デジタルアーカイブとは一次資料を電子化したものです。一次資料には様々な資料があるため、デジタルアーカイブにも多種多様なものがあります。アメリカの昔の小説だけを集めたもの(初期アメリカ小説集成 1774-1920年)もあれば、イギリスの特定の新聞を創刊号から提供するもの(英高級紙『タイムズ』歴史アーカイブ 1785-2019年)、女性史に関する書籍、定期刊行物、手書き資料を集めたもの(女性研究アーカイブ)もあります。規模も様々です。ページ数で数万ページ程度のものから、数千万ページに達するものまであります。
これらのデジタルアーカイブは単独で利用することもできますが、一括して利用することができます。このあとでご説明しますが、複数のデジタルアーカイブを横断検索すれば、億単位のページ数に及ぶ膨大な一次資料群を一気に検索にかけることができます。
デジタルアーカイブでは一次資料が電子化されても、原資料のイメージ通りに閲覧できます。書籍や定期刊行物であれば、印刷時のレイアウト通りに電子化されています。そのため、初めてデジタルアーカイブを見ても、違和感を抱くことはありません。紙の本を読むときと同じ感覚でページ送りもできます。
しかし、デジタルアーカイブでは紙の資料と同じように「読む」ことはありません。「読む」前に「検索」します。任意の単語を検索して、検索ワードが出てくる資料を探します。これを可能にしているのがOCR(Optical Character Recognition, 光学文字認識)という技術です。資料の文字群を電子化し、単語単位で検索できる形にしたものをOCRテキストと呼びますが、デジタルアーカイブの画像の背後に隠れているOCRテキストが膨大な資料に含まれる単語をピンポイントで探すことを可能にしているわけです。OCRは活字文献を対象にしたものですが、最近は手書き資料を対象にしたHTR(Handwritten Text Recognition, 手書き文字認識)がデジタルアーカイブにも応用されるようになっています。
OCR(光学文字認識)とHTR(手書き文字認識)の概念図。
OCRやHTRによる全文検索は学術文献を使った研究を大きく変えつつあります。どのように変えつつあるのか、以下で具体例に即して見てみましょう。
(なお、小社のデジタルアーカイブがどのように作られているのか、企画の発案から製品完成までの全プロセスについて現場スタッフが説明したインタビュー記事がありますので、興味のある方はご参照ください。)
「はじめに」で述べた通り、デジタルアーカイブでは一次資料で使われている言葉をピンポイントで探すことができます。たとえばこの機能を使えば、ある言葉がいつ頃から使われるようになったか、ということもすぐに分かります。
2012年のことですが、このようなことがありました。イェール大学図書館のフレッド・シャピロさんが、小社の『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』歴史アーカイブという、イギリスの挿絵新聞アーカイブで「feminist」という単語を検索してみたところ、当時最初の用例だと思われていたものよりも古い1894年の例が偶然にも見つかったのです。
「コメディー劇場『ニュー・ウーマン』について」(『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』1894年9月8日号より)
Scott, Clement. "'The New Woman,' at the Comedy Theatre." Illustrated London News, 8 Sept. 1894, p. 296. The Illustrated London News Historical Archive, 1842-2003, link.gale.com/apps/doc/HN3100144584/ILN?u=asiademo&sid=bookmark-ILN&xid=49684b87.
これが件の記事ですが、右下の方に小さくハイライトされているのが「feminists」という語になります。
同上、部分拡大
『ニュー・ウーマン(The New Woman)』という劇の劇評の中で、「faddy feminists(好き嫌いの多いフェミニストたち)」と書かれているようなのですが、今日で言うところの「フェミニスト」と同じ意味合いなのかどうかは、ちょっとわかりません。
いずれにしても、このように言葉の最初の使用例を簡単に見つけることができるのは、デジタルアーカイブのメリットのひとつと言えるでしょう。
紙の一次資料を使う場合、一度に見ることのできる資料の数はおのずと限られますので、研究者はあらかじめ当たりを付けるでしょう。こういう情報であれば、イギリスの外交文書にあるはずだ、同時代の新聞に載っているかも知れないと、知識と勘を働かせて探し当てるでしょう。しかし、デジタルアーカイブでは、これらの一次資料を一度に検索にかけることができます。
たとえば、先ほどはフェミニストの例をお見せしたので、次は19世紀末から20世紀初頭にかけて女性参政権獲得のために運動し、当時「サフラジェット(Suffragettes)」と呼ばれた女性たちに関する一次資料をデジタルアーカイブで探してみることにしましょう。
女性社会政治同盟『ザ・サフラジェット』紙 1915年5月28日号(経済学史・経済史古典文献集成(MOMW)第3部より)
Pankhurst, Christabel, and Women's Social and Political Union. The Suffragette. [S. N], [1912-1915]. The Making of the Modern World, link.gale.com/apps/doc/CPKRZE392145503/GDCS?u=asiademo&sid=bookmark-GDCS&xid=362f7d81&pg=4.
これは、女性参政権運動のカリスマ的指導者、エメリン・パンクハースト(Emmeline Pankhurst, 1858-1928)が率いた団体、女性社会政治同盟(Woman's Social and Political Union)が発行した週刊紙、その名も『ザ・サフラジェット』です。
シルヴィア・パンクハースト『サフラジェット:戦闘的女性参政権運動の歴史 1905-1910年』(19世紀史料集成(NCCO)第8部:女性と女性運動より)
Pankhurst, Estelle Sylvia. The Suffragette; the History of the Women's Militant Suffrage Movement, 1905-1910. Sturgis & Walton Co., 1911. Nineteenth Century Collections Online, link.gale.com/apps/doc/AWBCMV573706607/GDCS?u=asiademo&sid=bookmark-GDCS&xid=a7f26f0b&pg=5.
こちらは、エメリン・パンクハーストの娘、シルヴィア・パンクハースト(Sylvia Pankhurst, 1882-1960)の『サフラジェット:戦闘的女性参政権運動の歴史 1905-1910年』という書籍(1911年)です。
「バルフォア氏と “サフラジェット” たち」(『デイリー・メール』1906年1月10日号より)
"Mr. Balfour and the 'Suffragettes'." Daily Mail, 10 Jan. 1906, p. 5. Daily Mail Historical Archive, link.gale.com/apps/doc/EE1866704826/GDCS?u=asiademo&sid=bookmark-GDCS&xid=1b270f9d.
これは、サフラジェットに関するイギリスの大衆紙『デイリー・メール』(Daily Mail)の記事です。「サフラジェット」という言葉は『デイリー・メール』が侮蔑的な意味を込めて最初に使ったと言われています。
「一時的な絡まり」(『パンチ』1906年4月18日号より)
Partridge, Bernard, and Daily Paper. "A Temporary Entanglement." Punch, vol. 130, no. 3410, 18 Apr. 1906. Punch Historical Archive, 1841-1992, link.gale.com/apps/doc/ES700008331/GDCS?u=asiademo&sid=bookmark-GDCS&xid=0e58063c.
そして、これはイギリスの諷刺漫画誌『パンチ』(Punch)の記事です。当時のイギリスの首相ヘンリー・キャンベル=バナマン(Henry Campbell-Bannerman, 1836-1908)がサフラジェットの代表団に接見することになったことを、毛糸玉の巻き取りに付き合わされている様子になぞらえて揶揄しています。
エメリン・パンクハーストの1914年7月18日付一時釈放令(女性研究アーカイブ 第4部:世界の女性先駆者たちより)
Pankhurst, Emmeline: Suffragette. 1912-1914. MS Suffragettes, 1886-1935: PCOM 8 - Prison Commission: Registered Papers, Supplementary Series I PCOM 8/175. The National Archives (Kew, United Kingdom). Women's Studies Archive, link.gale.com/apps/doc/IYJXQH770983713/GDCS?u=asiademo&sid=bookmark-GDCS&xid=4a62c26d&pg=4.
サフラジェットたちはしばしば逮捕され、刑務所に収監されました。これは刑務所に収監されたサフラジェットたちを記録した政府の文書の一部で、エメリン・パンクハーストについてのものです。
このように、サフラジェットについての一次資料を探すと、当事者であるサフラジェット自身の書籍や新聞、同時代の新聞や雑誌、さらには政府の文書まで、様々な資料が出てきます。
紙の資料の場合、資料の間にある程度序列を付けて探す傾向があると思いますが、デジタルアーカイブではあらゆる資料がフラットにされ、序列がなくなります。そのため、思ってもいなかった資料に出くわすというセレンディピティ(serendipity, 思わぬ発見)の効果があります。
エメリン・パンクハーストの生涯について調べようとする場合、まずどのような資料に当たるでしょうか。オーソドックスには人名辞典に当たるのがよいでしょう。しかし、一次資料も人物に関する情報を含みます。
「パンクハースト女史」(『タイムズ』1928年6月15日号より)
"Mrs. Pankhurst." Times, 15 June 1928, p. 21. The Times Digital Archive, link.gale.com/apps/doc/CS352526031/GDCS?u=asiademo&sid=bookmark-GDCS&xid=7125dc7b.
これは、イギリスの高級紙『タイムズ』(The Times)に掲載されたパンクハーストの訃報記事です。イギリスの高級紙、特に『タイムズ』は訃報記事が充実しています。新聞は普通、人物に関する情報を得るために使いませんが、デジタルアーカイブでは、新聞の毎号に掲載される報道、論説、投書、訃報、書評、広告といった様々な記事を個別に検索できるため、各々の記事がよりアクセスしやすくなります。先ほど、デジタルアーカイブでは「あらゆる資料がフラットにされ、序列がなくなる」と言いましたが、新聞内の各記事もフラットにされ、序列がなくなります。
「女性が投票するようになったら、何が起こる?」(『デイリー・メール』1907年2月20日号より)
"When Women Vote—What Will Happen?" Daily Mail, 20 Feb. 1907. Daily Mail Historical Archive, link.gale.com/apps/doc/EE1866052016/GDCS?u=asiademo&sid=bookmark-GDCS&xid=443f809c.
これは『デイリー・メール』に掲載された女性参政権に関する女性の投書を集めたものです。先ほども述べた通り、『デイリー・メール』は女性参政権獲得に向けて戦闘的運動を進めるサフラジェットに批判的な眼差しを注いでいた新聞であるため、その投書にはバイアス(偏り)がありますが、それを前提にした上で、過激なやり方には反対するものの、女性参政権には賛成の投書が多かったことを伝えています。投書は無名の市民によるものです。
一次資料の多くは知識人、文筆家、作家、役人(外交官等)、ジャーナリストといった文章を書く職業に従事している人々によるものです。デジタルアーカイブになっても、その多くがこれらの人々によって残されたものであることには変わりありません。
しかし、近年の歴史研究では、無名の人々の世界に迫る試みが行われています。その際、新聞の投書欄は無名の人々が何を考えていたのかを知るうえで恰好の資料です。新聞の投書はとかく埋もれがちですが、デジタルアーカイブによってアクセスが容易になることにより、その価値が再発見されるでしょう。
資料の分類やサブジェクトといった長く使われてきた慣例が資料のデジタル化によって相対化されています。相対化されているのはこれに止まりません。これまで忘れられてきた人々の作品が見直されるようになったのも資料のデジタル化の大きな効果です。
「メアリー・ロビンソン(1758-1800)について」(Gale文学評論シリーズ:19世紀編 第142巻より)
"Robinson, Mary (1758-1800), An Introduction to." Nineteenth-Century Literature Criticism, edited by Russel Whitaker, vol. 142, Gale, 2005. Gale Literature Criticism, link.gale.com/apps/doc/LJRHDA348072854/GLS?u=asiademo&sid=bookmark-GLS&xid=54d272c1.
これは、いわゆる二次資料になりますが、メアリー・ロビンソン(1758-1800)という18世紀後半のイギリスの作家を紹介するGaleの文学批評シリーズ『Gale文学評論シリーズ:19世紀編』(Nineteenth-Century Literature Criticism)の2005年の記事です。
メアリー・ロビンソンは王立劇場の花形女優として名声を博しただけでなく、ロマン派の時代にあって詩人としても多くの作品を遺しました。死後、詩人メアリー・ロビンソンは忘れられます。しかし、忘れられた作家メアリー・ロビンソンが20世紀末、突如忘却の淵から救い出されます。この間の消息をこの記事は以下のように伝えています。
同上より、部分拡大
「しかし死後200年近くの間、その作品は関心を集めることはほとんどなかった。研究者が忘れられた女性作家を復権させるプロジェクトを開始するに応じて、かつてコールリッジ、サウジー、ワズワースらの作家たちと親交を結んだロビンソンは今や、アミーリア・オピー、フェリシア・へマンズと並び、批評の主題となるに至った。」
かつての文学教育では、特定の作家だけが読むに値する権威ある作品(=カノン)であると見なされてきたわけですが、カノンから除外されたマイナーな作品を再評価しようという試みが20世紀後半以降進められるようになりました。その一環として、忘れられた女性作家が忘却の淵から救い出されるようになったわけです。
この再評価の背景には、ジェンダーやフェミニズムの視点から作品を読み解く解釈が大きな潮流を形成したことがありますが、一次資料に即して言えば、忘れられたマイナーな作品をデジタルアーカイブとして広く利用できる環境が整ったことも再評価の流れを側面から支援しました。そのようなデジタルアーカイブを代表するものに18世紀英語・英国出版物集成(Eighteenth Century Collections Online, 以下「ECCO」)があります。
18世紀英語・英国出版物集成(ECCO)ホームページ
ECCOは18世紀の刊行物、約185,000タイトルを電子化したデジタルアーカイブです。18世紀の膨大な文献を含むECCOは、無名の作品、忘れられた作家の作品に平易にアクセスできる環境を提供しました。ECCOに代表されるデジタルアーカイブがロマン派の詩の読解に及ぼした影響を『ケンブリッジ版 ロマン派時代の女性作家必携』(The Cambridge Companion to Women’s Writing in the Romantic Period, Cambridge University Press)というレファレンスは次のように指摘しています。
「詩」(Gale eBooks『ケンブリッジ版 ロマン派時代の女性作家必携』より)
"Poetry." The Cambridge Companion to Women's Writing in the Romantic Period, edited by Devoney Looser, Cambridge UP, 2015, pp. 1-15. Cambridge Companions to Literature. Gale eBooks, link.gale.com/apps/doc/CX7606100011/GVRL?u=asiademo&sid=bookmark-GVRL&xid=39cabc91.
「この大きな変化は1980年代に遡る。この頃、ロマン派の時代に女性によって生み出された桁違いに多種多様な詩作品群に学問的・批評的な関心が向けられるようになったのである。(中略)アンナ・レティシア・バーボールド、シャーロット・スミス、メアリー・ロビンソン、メアリー・タイ、へマンズ、ランドン等の詩人の新しい校訂版作品集とともに、新しい書誌やレファレンスのリソース——特にオンライン・リソース——が、作品へのアクセスを可能にしたのである。(中略)包括的であることを目指す電子データベースは、多くのテクストを利用可能にしてくれたが、それとともに、伝統的な文学史が記録と記述に値すると見なしてきた女性作家の数を遥かに上回る女性作家が実在していたことを気づかせてくれたのだ。1800年以前に刊行された女性詩人の膨大な作品群はEighteenth Century Collections Online (ECCO) で利用でき、1800年以降の作品群は増大し続けるウェブサイトやNineteenth Century Collections Online (NCCO) を含む電子アーカイブに搭載されている。」
『Gale文学評論シリーズ:19世紀編』や『ケンブリッジ版 ロマン派時代の女性作家必携』のような参考図書や教科書には学界で多くの研究者によって広く共有されている学説(=定説・通説)が記述されています。通説は頻繁に変わることはありません。これに対して、論文は研究者個人によるオリジナルな発見(=新説)を記述したものです。そして、一次資料は研究者が新説を発表する際に論拠として使うエビデンスの資料です。
新たに一次資料が利用されるようになったり、既存の一次資料が新たに解釈されるようになることで、多くの論文が発表され、従来の通説が書き換えられる、という形で学問は発展します。研究者の最も重要な仕事は論文を書くことですが、論文を書くことによって、究極的には教科書を書き換えるような大きな仕事をしたいと、誰もが考えているわけです。
一次資料・論文・参考図書の関係を図示する概念図
ECCOという一次資料のデジタルアーカイブが普及し、これを利用した多くの論文が発表され、忘れられた女性作家に対する学界の関心が高まり、ロマン派詩人に関する通説を修正する必要が広く認識されるようになりました。こうして通説が書き換えられた例が、先ほど紹介した『Gale文学評論シリーズ:19世紀編』や『ケンブリッジ版 ロマン派時代の女性作家必携』の記事です。
ところで、研究者のオリジナルな発見が発表される論文で過去の作家の作品を引用する場合、引用を見ただけでは、論文の執筆者が紙の資料を使ったのか、デジタルアーカイブを使ったのかは、普通は分かりません。デジタルアーカイブを使って論文を書いたとしても、デジタルアーカイブ名を引用することが必ずしも要求されるわけではないからです。しかし、最近は状況が変わりつつあるようです。
アダム・ミラー「アン・ラドクリフの科学的ロマンス」の文末脚注(Gale文学評論シリーズ:19世紀編 第407巻より)
Miller, Adam. "Ann Radcliffe’s Scientific Romance." Nineteenth-Century Literature Criticism, edited by Rebecca Parks, vol. 407, Gale, 2022, pp. 244-253. Gale Literature Criticism, link.gale.com/apps/doc/XJKAKL976783282/GLS?u=asiademo&sid=bookmark-GLS&xid=9b81c891. Originally published in Eighteenth-Century Fiction, vol. 28, no. 3, 2016, pp. 527-545.
これは、論文の引用欄で作品名の後にECCOが典拠として挙げられている例です。ECCOが典拠に挙げられているのは、それが現在は多くの研究者に知られるようになったデジタルアーカイブであるから、というのが最大の理由でしょう。また、印刷媒体で流通していないマイナーな作品を引用する場合、論文を読む人のことを考えれば、何を使ってその作品を利用したのか明示した方がよいという配慮も働いたでしょう。ECCOに限らず、今後はデジタルアーカイブを論文の引用欄で典拠に挙げる事例が増えてゆくと予想されます。
少し視点を変えて、デジタルアーカイブに収録される一次資料の所蔵機関について考えてみましょう。デジタルアーカイブに収録される一次資料は、大英図書館、英国国立公文書館、米国議会図書館、米国国立公文書館等の世界有数の図書館や文書館で所蔵されているものです。デジタルアーカイブを提供する出版社はこれらの機関から許可を得て電子化し、デジタルアーカイブとして販売しているわけです。
では、なぜ図書館や文書館の所蔵資料なのでしょうか。書籍や雑誌は図書館の中で目録が作成され、保存されています。書籍の場合、著者や書名が同じでも版が異なる場合があります。別の出版社から復刻されることもあります。書名一つとっても、古い時代の文献では書名が異様に長いものが少なくありませんが、そうした場合でも書名の情報は正確でなければなりません。著者、書名、刊行年、出版社、版次等の書誌情報(メタデータ)は刊行物の身元情報として極めて重要で、特に学術文献では疎かにすることは許されません。未刊行の文書でも事情は変わりません。個人が蒐集した文書が段ボール箱に詰められてままあっても、すぐに研究に使えるわけではなく、それらを入手した図書館や文書館が一つ一つ目録化して、初めて利用できるようになります。
そのようにして作成された所蔵機関の目録や定評のある書誌に基づいて、デジタルアーカイブは制作されます。デジタルアーカイブというと、電子化の側面のみ注目を集めがちですが、電子化以前から作成されてきた信頼できる書誌情報を含んだ形での電子化だからこそ、学術研究での利用に堪えうるということができます。
18世紀英語・英国出版物集成(ECCO)の詳細な書誌情報の例
Fourcroy, Abbé de. A new and easy method to understand the Roman history. With an exact chronology of the reigns of the emperors; an account of the most eminent authors, when they flourisn'd: and an abridgment of the Roman antiquities and customs. By way of dialogue, for the use of the Duke of Burgundy. Done out of French, with very large additions and amendments, by Mr. Tho. Brown. To which is added two chapters; one of the customs, another of the Roman money. And also a collection of phrases out of the Roman antiquities, in English and Latin. With a compleat index to the whole. 2nd ed., Re-printed at the back of Dick's Coffee-House, for John Foster, bookseller, at the sign of the Dolphin in Skinner-Row, 1700. Eighteenth Century Collections Online, link.gale.com/apps/doc/CB0127643985/ECCO?u=asiademo&sid=bookmark-ECCO&xid=500ebb61&pg=2.
デジタルアーカイブを使って論文を書くようになると、研究計画を立てる段階でデジタルアーカイブを使うようになるようです。様々な検索をして検索結果の資料を確認することで、資料が豊富にありそうな研究テーマがおぼろげに見えてきます。研究計画を立てる段階でデジタルアーカイブをブレーンストーミングとして使うことは、今後ますます一般的になるでしょう。
デジタルアーカイブで様々な検索をするにしても、検索をするためにはある程度の知識が必要です。先ほど挙げた、女性参政権運動の指導者であるパンクハーストのことを調べる場合、パンクハーストに関連する単語を検索ワードに使います。検索ワードはパンクハーストに関するその人のワードマップです。そのワードマップにない単語で検索することはできません。自分のワードマップにない単語を知ることができれば、検索の可能性はさらに広がるでしょう。
「Pankhurst」で検索した検索結果の資料から生成したTopic Finderの例
これは、「Pankhurst(パンクハースト)」で検索した検索結果の資料から「トピック・ファインダー(Topic Finder)」という機能を使ってデジタルアーカイブが作成したワードマップです。「London(ロンドン)」や「Prison(監獄)」などある程度連想できる単語と並んで、「Mouse(ネズミ)」という意外な単語が出ています。
右側に出ているのは、「Mouse」に関連する検索結果の資料ですが、これを見ると、「Cat and Mouse Act」というフレーズの中の「Mouse」であることが分かります。逮捕され収監されたサフラジェットがハンガーストライキで抵抗したのに対して、政府はハンガーストライキで身体が弱ったサフラジェットを一時的に釈放し、体力が回復した段階で再度逮捕するという法律(Act)を通過させました。猫がネズミを弄ぶのを連想させたため、人々は「Cat and Mouse Act」と呼んで非難したと言われています。
このように、デジタルアーカイブのワードマップを使うことで、検索する人は自分のワードマップにはない言葉を得ることができるわけです。
以上、デジタルアーカイブについて、主として紙の資料を使う場合との相違に注目して、考えてみました。特定の単語をピンポイントで検索できること、様々な資料を同時に検索できること、様々な資料がフラットにされるため、意外な発見というセレンディピティの効果があること、資料の分類やサブジェクトがフラットにされ相対化されること、これまで入手困難だったマイナーな作品に対するアクセスが容易になることで、学界の通説を修正するほどの影響を及ぼす可能性があること、単に紙の資料を電子化し検索可能にしただけでなく信頼の書誌情報をも備えているため、学術的利用に堪えうるものであること、研究計画段階でのブレーンストーミングにも使えること、自分のワードマップにはない単語を見つけること、を挙げました。
様々な一次資料を前にすると、私たちはバイアスをもって向き合ってしまいがちです。資料を固定観念で見てしまったり、資料の間に優劣を付けたりしてしまいます。「広く流通している資料よりも、公文書に埋もれた知られざる文書を調べるのが大切だ」、「研究するなら、やはりマイナー作家より古典的な有名作家だ」、「イギリスの新聞なら、大衆紙より『タイムズ』を見なければ」、「人物のことを知りたければ、人名辞典のようなオーソドックスな資料に当たるべきだ」。私たちが知っている言葉が限られているということ自体もバイアスです。
これらのバイアスを無くすことは難しいかも知れません。しかし、バイアスを持っていることを意識して資料に向き合うことはできます。これまで見てきたように、デジタルアーカイブは私たちが持っているバイアスの存在に気づかせてくれ、私たちを意外な発見へと導いてくれます。
さらに、資料自体が持っているバイアスもあります。特定の事例を調べるために一部の資料ばかり使えば、偏った見方しか得られません。女性参政権運動を知るために、サフラジェットたちが発行した書籍や定期刊行物に当たることはもちろん必要なことです。しかし、それらの資料は当時の社会の一つの断面を切り取ったものに過ぎません。サフラジェットの活動をその時代の実態に即した形で位置づけるには、サフラジェットの活動に批判的だった人々の資料、中立的立場から見ていた人々の資料、政府の資料にも当たりながら、対象を俯瞰的に見る姿勢が求められます。
どんなことを調べる場合でも、様々な資料を比較しながら出来事を多角的に調べることは、デジタルアーカイブが登場するはるか以前から学界で継承されてきた不可欠の学問作法です。デジタルアーカイブは、様々な資料を同一平面でアクセスすることによって、出来事に多角的にアプローチすることを容易にしてくれます。以前から継承されてきた学問作法や書誌のような学問ツールを尊重しつつ、デジタルアーカイブは研究のあり方を大きく変えています。
溝口 哲彦(みぞぐち てつひこ)Gale部門シニア・マーケティング・エグゼクティブ。国内代理店勤務を経て2010年入社。カスタマー対応、学会出展、マーケティング、カタログ制作を担当。音楽を聴きながら読書するのが至福の時間であるが、最近は健康に目覚め、運動や栄養に関する動画サイトから目が離せない。