African America, Communists, and the National Negro Congress, 1933-1947
本コレクションは、ニューヨーク公共図書館ションバーグ黒人文化研究センターが所蔵する全国黒人会議関係の文書を集めたもので、収録文書は98,000ページにおよびます。
全国黒人会議は、ジム・クロウ制度と呼ばれる黒人差別制度、人種隔離、差別、リンチ、暴徒による暴力から黒人を守り、黒人の権利を擁護し、黒人と白人の間に一体感と協調の精神を吹き込むことを目的として1936年に創設されました。教会と労働団体と人権団体を束ねる全国連合体としては、経済的窮状に置かれた黒人が抗議行動を行なう際のまとめ役としても機能しました。
アメリカの全黒人を代表する会議という構想は、1920年代から1930年代にかけて活躍した戦闘的な公民権運動家、ジョン・P・デイヴィス(John P. Davis)に始まります。1935年にワシントンDCのハワード大学会議で、デイヴィス、ラルフ・バンチ等、著名なアフリカ系アメリカ人は構想を具体化することで合意、1年後に第一回全国黒人会議をシカゴで開催しました。会議には、宗教団体、労働団体、市民団体、共済組合等、585の各種団体を代表する817名が参加、寝台車ポーター組合のA・フィリップ・ランドルフ(A. Philip Randolph)を会長に選出しました。多くの黒人が困難な状況に直面した大恐慌の時代にあって、全国黒人会議は大きな可能性を秘めていた一方で、多くの団体を傘下に持っていたために、党派主義に冒されやすい危険性を抱えていました。実際、全米有数の公民権団体である全国黒人向上協会(NAACP)は全国黒人会議を競合団体とみなし、距離を置きました。しかし、NAACPの指導者ロイ・ウィルキンス(Roy Wilkins)はシカゴ大会にオブザーバーとして参加し、NAACPの地方活動家は全国黒人会議と直接的な関わりを持ちました。またデイヴィスは、NAACPが大恐慌時代に関心を払うことのなかった労働者階級の支援に注力することにより、全国都市連盟(National Urban League)や産業別労働組合会議(CIO)の支持を獲得することに成功しました。
当時の時代の制約を考えれば、全国黒人会議は実質的な成果を獲得することに成功しました。草の根レベルでは、ボイコットや家賃不払い運動など、人種差別に対する直接的抗議行動を支援しました。また、デイヴィスの訴えにより、CIOは黒人を組合員として採用し、公共事業促進局(WPA)の連邦作家プロジェクトは黒人作家の生活を保障しました。黒人に対する投票への呼びかけ、アフリカにおける帝国主義やドイツにおけるナチズムの非難など、全国黒人会議は1930年代後半を通して積極的に発信を続け、ルーズベルト大統領が年次大会に挨拶状を送り、NAACPのウォルター・ホワイトが大会に参加するほどまでに、無視できない勢力にまで伸長しました。
しかし、衰退の時期もすぐやってきました。1939年の独ソ不可侵条約の締結は全国黒人会議内部に大論争を巻き起こし、ランドルフ等の著名な会員は脱退し、共産主義者が組織を支配するようになりました。1946年には、国際労働擁護同盟(International Labor Defense)、全国憲法上の自由連合(National Federation for Constitutional Liberties)と合同し、公民権会議(Civil Rights Congress)を結成します。
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