Czechoslovakia Crisis, 1968: The State Department's Crisis Files
1960年代後半のチェコスロヴァキアでは、経済停滞への民衆の不満が嵩じる一方で、社会主義体制の中での自由と多元主義を求める民主化運動が盛り上がりを見せていました。この動きの中で、1968年1月、保守派の共産党第一書記アントニーン・ノボトニーに対する批判が高まり、ノボトニーは第一書記を解任されました。改革派のアレクサンデル・ドプチェクが党第一書記に就任すると、検閲は緩和され、政治犯が釈放され、1950年代の公開裁判など政治的タブーだった諸問題に関する議論が容認されるなど、政権は民主化の方向に舵を切り、後に「プラハの春」と呼ばれる民主化運動が全国規模で展開しました。この動きを警戒して見ていたソ連と東欧諸国はワルシャワ条約機構軍をチェコスロヴァキア国境付近に集結させ、軍事演習を行ない、チェコスロヴァキア指導部に圧力を掛けました。チェコスロヴァキア指導部はあくまで共産党が指導する社会主義体制の中での民主化を目指していたものの、民主化運動は指導部の意図を超えて展開する様相すら見せました。そして8月、ワルシャワ条約機構軍はついにチェコスロヴァキアに侵攻、ドプチェクらの改革派はソ連に連行され、民主化運動は武力で弾圧されました。本データベースは、米国国立公文書館が所蔵する国務省一般記録群(RG59)の一部をなす国務省長官秘書室(Office of the Executive Secretariat)の「チェコスロヴァキアの危機ファイル、1968年(Czechoslovakia Crisis Files, 1968)」という文書群を電子化し提供するものです。ほぼすべての文書がワルシャワ条約機構軍の侵攻後に発せられた文書で、侵攻後のチェコスロヴァキア情勢と事件に対する米国や諸外国の対応を克明に記録します。
(マイクロ版タイトル:Czechoslovakia Crisis, 1968 : The State Department's Crisis Files)