Egypt: Records of the U.S. Department of State, 1853-1959
19世紀初頭に成立したムハンマド・アリー朝は始祖ムハンマド・アリー以来、西洋諸国の制度や技術を導入し、近代化を推進しました。第4代のサイード、第5代のイスマーイールの時代、鉄道敷設、スエズ運河開通、カイロの都市計画の形で西洋化・近代化は一層進められました。
しかし外資導入による近代化は対外債務を増加させ、国家財政の破綻を招き、1867年にはイギリス人とフランス人が大臣として入閣するヨーロッパ内閣が成立しました。西洋化・近代化政策が行き詰まる中で、外国支配からの脱却を目指す民族運動が勢力を持ち始めます。
アフマド・アラービー大佐は「エジプト人のためのエジプト」をスローガンに掲げ、1881年に外国人支配の排除と立憲制の確立を要求して武装蜂起しました。しかしこれを鎮圧したイギリスはエジプトを軍事支配下に置きます。第一次大戦ではオスマン帝国に対するアラブ民族の反乱をイギリスが支援しましたが、イギリスの保護国エジプトはアラブ民族反乱の重要な拠点となりました。
第一次大戦後に民族自決主義の風潮が各地で高まりを見せる中、エジプトでは反英独立運動が展開します。ワフド党の指導者サアド・ザグルールの下に結集した反英運動の高まりの中で、イギリスは1922年にエジプト独立を容認します。
独立の翌年には憲法を制定し、1924年の総選挙ではワフド党が勝利し、ザグルールが初代首相に就任しました。戦間期エジプトではワフド党が議会第一党として政治の中軸にありましたが、イスラームに基づく国家と社会の変革を説くムスリム同胞団が対抗勢力として大衆の支持を拡大しました。
第二次大戦期に創設された自由将校団からも体制変革運動が起こります。自由将校団運動の中心にいた青年将校ナセルは、第二次大戦後のイスラエル独立宣言を発端とする第一次中東戦争に参戦する中で、支配層の腐敗を目の当たりにし、体制変革を実行に移すことを決意します。1952年、ナセルはクーデターを起こし、王制を排しエジプトを共和制に移行させます。ここにオスマン帝国以来外国の支配下にあったエジプトは真の独立を実現しました。
ナセルは1956年、最後の外国支配の拠点としてイギリスの管理下に置かれていたスエズ運河の国有化を宣言します。国有化宣言は、治水灌漑と電力確保の切り札として進めていたアスワンハイダム建設に対して、経済的技術的援助の申し入れを行なっていたイギリスとアメリカが援助提案を撤回したのを受け、建設費用捻出のために打ち出されたものです。国有化宣言を受けて、イギリスとフランスとイスラエルは軍事介入、第二次中東戦争が勃発します。英仏両国はスエズ一帯を占領するも、アメリカを始めとする国際社会の支持を得ることができず、撤退に追い込まれました。スエズ国有化を実現したナセルはアラブ・ナショナリズム、非同盟諸国の指導的人物としての名声を獲得しました。
本コレクションは、米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わしたエジプトの動向に関する往復書簡を収録します。米国はアレクサンドリア、カイロ、ポートサイド、スエズ等、エジプト各地に領事館を設置しました。国務省と領事館の往復書簡の他に、国務省の報告書や覚書、国務省と外国政府との往復書簡、国務省以外の省庁の文書も収録されています。本コレクションは、19世紀半ばから20世紀半ばに至るエジプトと周辺地域に関する政治、外交、経済、社会情勢に関する重要な情報を含む貴重な資料群です。
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