FBI File: Julius and Ethel Rosenberg
1950年、ジュリアス・ローゼンバーグとエセル・ローゼンバーグの夫妻は、ソ連のために原爆開発に関するスパイ活動を行なったとして米国政府から告発されました。ローゼンバーグ夫妻の逮捕劇は、連邦捜査局(FBI)によるクラウス・フックス(Kraus Fuchs)の摘発に始まりました。フックスはドイツ生まれのイギリスの科学者で、アメリカの原爆開発計画(マンハッタン計画)に参画しつつ、ソ連に原爆の機密情報を渡していました。フックスの逮捕と自白により、フックスとソ連側スパイの連絡係であるハリー・ゴールド(Harry Gold)が逮捕され、ゴールドの自白によりエセルの実弟デヴィッド・グリーングラス(David Greenglass)が、グリーングラスの自白により、エセルとジュリアスが逮捕されました。
1951年3月6日に始まった裁判は、米国政府内への共産党員の潜入をめぐり監視活動が強化されている最中に行なわれたこともあって、重大な関心を集め、米国における共産主義の浸透を巡って大きな議論を巻き起こすことになりました。数ヵ月におよぶ収監後に夫妻が無実を訴えて書いた手紙は Death House Letters として公刊され、広く読まれ、裁判の不当性を訴える運動を呼び起こしました。死刑宣告後、裁判を批判する声はさらに激しくなり、世界的な規模で助命嘆願運動が起こり、アインシュタイン、ローマ教皇ピウス12世、ピカソら世界の著名人が夫妻を支援しました。フランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトルは「国全体を血で汚す法的リンチ」と裁判を批判しました。しかし、不服申し立ての試みや最高裁による刑執行の一時停止措置も空しく、夫妻の刑は確定し、1953年6月19日、死刑が執行されました。
ローゼンバーグ裁判はその後、長く議論の対象となりました。アメリカにおけるソ連の諜報機関のスパイ活動の暗号文を解読した文書が1995年に機密指定が解除され公開されましたが、通称「ヴェノナ(Venona)文書」と呼ばれるこの文書をはじめ、各種文書は、エセルについては不明な点が残されているものの、ジュリアス・ローゼンバーグについてはソ連のスパイであったことを否定することが困難になっています。その一方で、冷戦下の政治的緊張と反共の嵐が猖獗を極めた時代背景を無視して、裁判を論じることもできません。ローゼンバーグ裁判は赤狩りの時代を象徴する最大のスパイ事件として、依然として大きな歴史的価値を持っています。
本コレクションは、ローゼンバーグ夫妻に関するFBIの約34,000ページの文書を収録します。収録期間は1940年から1986年までおよび、夫妻に対する捜査資料のみならず、夫妻に対する刑執行後に続いた裁判に関する論議をもカバーします。夫妻の獄中からの手紙Death House Letters(1953)や裁判を批判して書かれたシカゴ大学ロースクール教授マルコム・シャープ(Malcom P. Sharp)のWas Justice Done? The Rosenberg-Sobell Case(1956)も収録されています。
(マイクロ版タイトル:FBI File on Julius and Ethel Rosenberg)
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