FBI File: Roy Cohn
赤狩りの時代、ジョセフ・マッカーシーの右腕として共産党との関わりを疑われた者への容赦ない尋問で広く知られ、弁護士への転身後は上流社会の名士の顧問弁護士として辣腕を振るい、最後は違法行為により法曹資格を剥奪されたロイ・マーカス・コーン(1927-1986)。ロイ・コーンは23歳のとき、連邦検事アーヴィング・セイポルの下で検事補の職を得、共産党員やスパイ容疑者の裁判で敏腕検察官として名を馳せます。特に原爆の機密情報をソ連に渡したとされるローゼンバーグ夫妻の裁判でコーンの声望は俄かに高まりました。その後、ジェイムズ・マクグラネリー司法長官の補佐官に転じ、共産主義が米国内に浸透しているとして、国連代表部のアメリカ人スタッフや著名な中国学者オーウェン・ラティモア等に対する追及を行ないました。その果敢な反共の姿勢に惚れ込んだ連邦捜査局(FBI)のフーヴァー長官がコーンを赤狩りの闘士ジョセフ・マッカーシーに推薦したことにより、コーンはマッカーシーが委員長を務める上院小委員会の法律顧問に着任し、赤狩りの舞台を議会に移します。コーンが作成した公聴会への喚問の候補者名簿はフーヴァー長官との人脈による情報に基づいたものと言われています。陸軍を相手に開催された公聴会での躓きによりマッカーシーが失脚すると、コーンは上院法律顧問を辞任し、弁護士として法律実務の世界に復帰します。上流社会や闇社会に知己の多いコーンは、後の大統領ロナルド・レーガン、ミック・ジャガーの妻のビアンカ・ジャガー、マフィアのカーマイン・ギャランテ、不動産王で後の大統領ドナルド・トランプ等の顧問弁護士として辣腕を振るいました。しかし、コーンには違法行為の噂が絶えず、実際に贈賄、詐欺、脱税により三度被告となりましたが、いずれも無罪判決を勝ち取ります。2回目の裁判ではみずから最終弁論に立ち、メモなしで7時間にわたる弁論を行なう離れ業をやってのけました。しかし年齢を重ねるに従い、その法律のスキルの衰えは隠しようもなくなり、高額の依頼料をクライアントから取るだけの非倫理的な行為が顕著になります。クライアントの告発を受けたコーンは、ついに法曹資格を剥奪されました。コーンについては同性愛者であることが半ば公然の秘密として語られていましたが、自身は同性愛を非難し、その権利の制限を試みさえしました。コーンは1986年、エイズ関連合併症により、59年の生涯を閉じました。
本コレクションは、ロイ・コーンに関する連邦捜査局(FBI)の文書を収録します。収録文書は、連邦検事の検事補だった時から、マッカーシーの右腕として共産主義者への尋問を行なっていた時代、ニューヨークの弁護士として上流社会の名士の顧問弁護士として辣腕を振るっていた時代を経て、法曹資格を剥奪される最晩年までの期間をカバーします。
(マイクロ版タイトル:FBI File on Roy Cohn)
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