Japan: Records of the U.S. Department of State Relating to Commercial Relations, 1910-1949
日米通商関係は、1911年の日米通商航海条約の改定を経て新時代に入りました。既に19世紀末から増加傾向にあった日本の対米輸出は第一次大戦期に急拡大し、日米通商関係は一層深化しました。日本の対米輸出の主要品目は生糸で、アメリカは生糸輸出先として最大の市場であり、アメリカの対日輸出では、綿花、機械、木材、石油が主要品目でした。
貿易面だけでなく、1920年代にフォードやゼネラル・モーターズ(GM)の自動車組立工場が日本に設立されたことに見られる通り、アメリカの対日直接投資も進みました。
しかし、良好な関係にあった経済関係も、1930年代になると暗雲が立ち込めます。大恐慌に襲われたアメリカでは国内産業を保護するため、高率の関税を課したため、日本の対米輸出は大きな打撃を受けました。また、綿布を始め、様々な品目で貿易摩擦が生じました。
日本が戦時体制に進み、経済統制を強めるに従い、アメリカの対日資本輸出は著しく減少しました。日中戦争以後は日米対立が深刻化し、1939年の日米通商航海条約の廃棄通告、1940年の屑鉄禁輸措置、1941年の石油禁輸措置といった一連の対日経済制裁を経て、両国は戦争に突入し、通商関係は途絶しました。
本コレクションは、1910年から1949年までのアメリカの対日通商関係に関して国務省が残した資料を提供します。国務省では国務長官の下で極東局(Division of Far Eastern Affairs)が対日政策の企画立案に関わっていましたが、通商政策もその重要な一側面をなしていました。国務省は駐日大使館に対日政策に関する訓令や指示を与え、駐日大使館は日本の政府や経済事情に関する情報収集や交渉を行ない、国務省に報告しました。駐米日本大使館も国務省の交渉相手であり、書簡や会談によって、交渉を行ないました。さらに、日米両国の通商政策の影響を受けるアメリカの産業界の声も国務省に届きました。
本コレクションは国務省、とりわけ対日政策を担った極東局が、駐日アメリカ大使館、駐米日本大使館、日米の業界団体等と交わした往復書簡を通して、戦間期を中心とする日米経済関係の動向に光を当てようとするものです。
※1950-1963年編も合わせてご検討ください。
(マイクロ版タイトル:Records of the Department of State Relating to Commercial Relations of Japan, 1910-1949)
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