Records of the Department of State Relating to Political Relations Between the United States and Colombia, 1945-1959
本コレクションは米国国立公文書館が所蔵する国務省一般記録群(RG59)の中から、米国国務省の米国とコロンビアの政治関係に関する外交文書約2,000ページを収録するものです。収録文書は米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わした往復書簡です。
第二次大戦中、コロンビアは連合国として参戦し、米国との軍事的関係を強化します。戦後は米国の同盟国として、米州相互援助条約の締結(1947)と米州機構の創設(1948)で結実した米国主導の南米地域安全保障体制の構築において主導的な役割を果たしました。米州機構の初代事務総長にはコロンビアの政治家で、第二次大戦中に米国大使、国連設立を決定したサンフランシスコ会議のコロンビア代表を務めたアルベルト・イェラス・カマルゴ(Alberto Lleras Camargo)が着任します。第二次大戦後のコロンビア国内では、「ラ・ビオレンシア(La Violencia)」と呼ばれる暴力的な内乱が発生し、1949年マリアーノ・オスピナ・ペレス大統領は非常事態宣言を発令します。コロンビアの不安定な社会情勢と強権的な政治体制は中南米での民主主義の普及を目指す米国にとって望ましいものではなかったものの、朝鮮戦争への参戦等に見られる集団安全保障体制に貢献するコロンビアは米国の同盟国に相応しいものでした。
1953年には朝鮮戦争への参戦を決断したラウレアーノ・ゴメス(Laureano Gómez)大統領がグスタボ・ロハス・ピニージャ(Gustavo Rojas Pinilla)将軍のクーデタによって失脚します。大統領に就任したピニージャは軍政を敷きます。軍政期間中に暴力的な内乱は一時的に沈静化します。コロンビア国内の社会情勢の安定化を見た米国のアイゼンハワー政権はピニージャの軍政を支持する姿勢を打ち出しますが、内乱状況が再燃すると、コロンビアの内政移管を志向する政策に転換します。その後、コロンビアは金融危機に見舞われる中で米国へ金融支援要請を行いますが、民政移管を望む米国から拒否され、軍政は崩壊します。長く暴力的な紛争を繰り広げた保守党と自由党が和解に転じ、国民戦線(Frente Nacional)を形成し、民政移管を実現させます。民政移管後の大統領にはアルベルト・イェラス・カマルゴが就任しました。
米国国務省の外交文書を通じて第二次大戦後の米国の対コロンビア政策を浮き彫りにするコレクションです。
(マイクロ版タイトル:Records of the Department of State Relating to Political Relations Between the United States and Colombia, 1945-1959)
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関連分野
- ラテン系・ラテンアメリカ研究
- 政治学・外交研究