Records of the U.S. State Department: Ghana, Political Relations and Governmental Affairs, February 1963-1966
本コレクションは米国国立公文書館より、1960年代半ばのガーナの政治情勢に関する国務省の外交文書を収録するものです。国務省一般記録群(RG59)は1963年2月に、それまでの十進分類法(Decimal File)から主題・番号分類法(Subject-Numeric Files)へファイリング・システムが変更されました。収録文書は政治(POL)の分類が与えられた約7,000ページの文書群を収録します。ンクルマ政権下の1963年からクーデタにより政権が崩壊し、軍政が始まる1966年までの政治情勢が米国外交文書を通じて明らかになります。
1957年、英国からの独立を達成したガーナは、熱帯地方のアフリカでは例のないほど良好な政治経済環境に置かれていました。世界最大級のココア生産国、発達した交通網、比較的高水準の国民所得、低水準の政府債務、豊富な外貨準備等、各種指標はガーナ経済が健全な状況にあることを示していました。教育制度も発展し、議会制は長い伝統を持っていました。
初代首相には米国と英国で学んだ経験のある政治家で、独立運動の急進派が結集した会議人民党(Convention People’s Party)の指導者であるクワメ・ンクルマ(Kwame Nkrumah)が就任しました。ンクルマ政権は経済、社会、教育の近代化を推進するとともに、汎アフリカ主義の旗の下で他のアフリカ諸国の独立運動を支援しました。サハラ以南のアフリカで最初に独立を達成した国の指導者として、ンクルマとガーナの政治指導者の名声は他のアフリカ諸国で鳴り響き、その影響下でアフリカ諸国の独立と連帯の促進を目的としてアフリカ統一機構(Organization of African Unity, OAU)が結成されました。
政治家であるとともに卓越した理論家でもあったンクルマは『新植民地主義』や『アフリカにおける階級闘争』等の著作を残しました。しかし、ンクルマ政権は次第に強権的になり、1960年にガーナが共和国に移行し、ンクルマが大統領に就任すると、会議人民党の一党支配体制を固め、中央集権化と社会主義化を推進します。
米国とンクルマ政権の関係は独立当初から脆弱なものでした。ソ連のアフリカへの影響力の拡大を警戒する米国は、ンクルマ政権の社会主義政策を快く思わず、反対勢力へ肩入れをします。ンクルマは米国との友好関係を打ち立てることを希望するとの声明を出す一方で、中央情報局(CIA)が政権転覆を試みているとして米国の外交政策を非難しました。
社会主義体制の下で経済が悪化すると、国民の間で次第に不満が高まります。このような状況の中で1966年2月、ンクルマの中国訪問中にCIAの支援を受けた軍がクーデタを敢行しました。クーデタは成功し、ンクルマ政権は崩壊、民族解放評議会(National Liberation Council, NLC)による軍政が始まりました。米国は軍事政権への経済的・軍事的支援を続けたものの、ガーナの政情不安はその後も続きました。
(マイクロ版タイトル:Records of the U.S. State Department: Ghana, Political Relations and Governmental Affairs, February 1963-1966, Subject-Numeric File POL)
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