Records of the U.S. State Department: The French Colonies in Sub-Saharan Africa, 1945-1963: Internal and Foreign Affairs
本コレクションは、1945年から1963年までの仏領西アフリカと仏領赤道アフリカに関する国務省の外交文書約21,000ページを収録するものです。収録文書の主題は政党、選挙、議会、行政、外交、国境問題、軍事、司法、治安、犯罪、刑罰、財政、税制、経済、金融、銀行、工業、鉱業、資源、農業、農産物、畜産、交通、通信、労働、移民、人口、住宅、公衆衛生、年金、婚姻、離婚、娯楽、災害、初等教育、高等教育、慈善団体、宗教、文化、出版、報道、新聞、検閲等々、多岐にわたります。第二次大戦後に植民地が脱植民地化に向かう中での仏領アフリカ植民地の動向が米国外交文書を通じて明らかにされます。
現在、中央アフリカと西アフリカの12ヶ国で構成されるサハラ以南アフリカ仏語圏地域は、19世紀後半以降のフランスによる植民地化と20世紀後半の脱植民地化を経て形成されたものです。これらの植民地の人々は二つの大戦でフランス軍に従軍し犠牲を払いました。フランスによる搾取に対する不満と相俟って、第二次大戦期には独立を求める機運が高まり、独立運動が形成されます。
大戦末期の1944年、ブラザヴィルでドゴールの主催により開催された会議を経て、戦後の第4共和政憲法においてフランスと植民地はフランス連合(Union française)として再編されました。フランス連合においてサハラ以南の植民地は海外領土(Territoire d'Outre-Mer, TOM)と称され、フランス議会に代表を送る権利が付与され、1956年基本法では自治権が付与されました。1958年の第5共和政憲法ではフランス連合がフランス共同体(La Communauté Française)として再編されますが、ドゴールは植民地(海外領土)に対して共同体内での自治か独立かの選択を迫りました。共同体への加盟を選択すればフランスからの経済支援を期待できるのに対して、独立を選択すれば経済的な自立の道を進めなければならず、独立の道を閉ざそうとするドゴールの巧妙な政策でした。
サハラ以南の植民地の中では、「隷従の中での豊かさよりも、自由の中での貧困を選ぶ」(セク・トゥーレ)として独立の道を選んだギニア以外はフランス共同体への加盟の道を選びました。しかし、植民地が独立に向かう歴史の流れは止めることはできず、多くの国々が独立を果たし、アフリカの年と呼ばれる1960年にはフランス共同体への加盟を選択した植民地(海外領土)はフランスからの独立を果たします。
◆収録地域
- 仏領西アフリカ【セネガル/ギニア/コートジボアール/ダホメー(現ベナン)/スーダン(現マリ)/モーリタニア/オート・ボルタ(現ブルキナファソ)/ニジェール/トーゴランド(現トーゴ)】
- 仏領赤道アフリカ【コンゴ/ガボン/ウバンギ・シャリ(現中央アフリカ)/チャド】
(マイクロ版タイトル:Records of the U.S. State Department: The French Colonies in Sub-Saharan Africa, 1945-1963: Internal and Foreign Affairs)
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関連分野
- アフリカ研究
- 植民地主義
- 政治学・外交研究
- 20世紀研究