Religions of America
アメリカ合衆国では、憲法修正第一条において「合衆国議会は、国教を樹立する法律もしくは自由な宗教活動を禁止する法律……を制定してはならない」と規定され、憲法により国教制度が否定されました。政教分離の下で個人の信教の自由が保障されたアメリカ社会では、すべての教会が教派(デノミネーション)として共存・競合する教派主義(デノミネーショナリズム)のもとで自由な競争が進みました。建国当初、15を数えるに過ぎなかったキリスト教系教派の数は、その後の神学論争、移民流入、精力的な信者獲得運動により、19世紀末には約300に増加、加えて、非キリスト教系の宗教団体もアメリカ社会で地歩を固めました。20世紀になると、教派の数は1,000を超えるに至りました。多くの教派は信者数が数千人の小規模なものである一方で、大半のキリスト教徒は信者数が10万人を超える大規模な教派に属しています。
様々な教派が存在するアメリカでは、宗教が社会生活において大きな位置を占めています。教会の礼拝への参加率を見ると、ヨーロッパ諸国では10%にも満たないのに対して、アメリカでは40%程度を維持しています。また、大統領就任式において、大統領が聖書に手を置き、神の名の下に宣誓することに象徴的に表現されている通り、公的な政治の場面において宗教が大きな役割を果たし、憲法で規定された政教分離が、必ずしも公的な場面から宗教が排除されることを意味しないことを示しています。
本アーカイブは、このようなアメリカの宗教事情に分け入ろうとするものです。タイトルが “Religions of America” と複数形が使われている通り、アメリカの宗教の多様なあり方が明らかにされます。アメリカの宗教の多様性は、単に様々な教会が存在しているのではなく、各教会内部でも多様な信仰と価値観の下で、様々な教派に分裂し、さらに、これらの教派が教会を横断する形で特定の理念を共有する政治団体を形成するといった、複雑な構造をなしています。近年アメリカで政治に大きな影響を及ぼしている宗教右派が注目を集めていますが、建国以来、政治や国民統合において宗教が大きな役割を果たしてきました。
アメリカの宗教事情に光を当てる本アーカイブは、宗教史だけでなく、アメリカ政治史に対しても大きな知見を与えます。本アーカイブでは、多様な宗教、教派の中から、ホーリネス派教会、ペンテコステ派教会、バプテスト派教会、アドヴェンティスト教会、独立ファンダメンタリスト、クリスチャン・サイエンス、末日聖徒教会(モルモン教)、クリスチャン・アイデンティティ、シェーカー教、人民寺院、ブランチ・ダビディアン、ムーア人科学寺院等、主としてアメリカ生まれの教派、教団に関する資料を収録するものです。これらの教派、教団は近年、新宗教運動として研究の対象とされています。収録資料はこれらの教会、教団が発行した書籍、パンフレット、定期刊行物、未刊行内部文書に加え、連邦捜査局による尋問記録(人民寺院関係)、連邦政府と教団との交渉記録(ブランチ・ダビディアン関係)です。
《収録コレクション》
-
アメリカ宗教コレクション
American Religions Collection
本アーカイブのコンテンツの基軸をなすコレクション。カリフォルニア大学サンタバーバラ校デヴィッドソン図書館の所蔵資料で、アメリカ新宗教運動関係資料としては最大規模を誇ります。宗教学者J・ゴードン・メルトン(Gordon Melton)蒐集のコレクションをベースに、1968年にイリノイ州で創設された独立系宗教研究機関、アメリカ宗教研究所(Institute for the Study of American Religion、ISAR)により収蔵資料が拡充されました。アメリカ宗教事典の決定版として名高いメルトンの編集になる『アメリカ宗教百科事典(Encyclopedia of American Religions)』(Gale、最新第9版)は、本コレクション収蔵資料を活用して完成したものです。コレクションには、ウィッカ、ネオペイガニズム、マジック、ニューエイジ、オカルト集団等、北米の新宗教運動の教団の逐次刊行物約600誌、ペンテコステ派教会、バプテスト派教会、独立原理主義、モルモン教、アドヴェンティスト教会、ホーリネス派教会、福音恩恵教会、クリスチャン・サイエンス、ユダヤ系キリスト教、聖名グループ、LGBTQ系教会、女性の霊性、教会と国家問題など、様々な主題ファイルが収録されています。古くは1820年代から最近のものでは1990年代までの時期をカバーしますが、特に新宗教運動が盛り上がりを見せた第二次大戦から1960年代の対抗文化運動の時期にかけての資料が充実しています。 -
ホール=ホーグコレクション所蔵クリスチャン・アイデンティティ関係資料
Christian Identity Materials from the Hall-Hoag Collection of Dissenting and Extremist Printed Propaganda
18世紀イギリスにおいて、アングロサクソン民族をイスラエル民族の失われた部族の一つとみなし、イギリスとイスラエルの民族的親近性を説く思想が唱えられ始め、19世紀後半にはアングロ・イスラエリズムと呼ばれるようになりました。その後、アメリカに移植され、イギリス人こそ選民であると説いたハワード・ランドや自動車会社フォードの役員ウィリアム・キャメロンら、アメリカにも支持者を得るようになると、反ユダヤ主義の傾向が顕著になりました。退役軍人ウィリアム・ポッター・ゲールやジェラルド・ライマン・ケネス・スミスやメソジスト教会の牧師ウェズレー・スウィフトなど、白人優越主義を唱える人物がアングロ・イスラエリズムと関わりを持ち、1930年代に彼らの中から白人優越主義を唱える宗教組織としてクリスチャン・アイデンティティが生まれました。実質的な指導者はウェズレー・スウィフトで、アングロ・イスラエリズムに白人優越主義を統合したクリスチャン・アイデンティティの神学は、スウィフトにより体系化されました。本コレクションは、白人優越主義を唱えたクリスチャン・アイデンティティ運動に関する資料集で、ゴードン・ホールにより蒐集され、ブラウン大学ジョン・ヘイ図書館が所蔵するアメリカ急進主義のコレクションの一部をなすものです。1929年から1999年までの時期をカバーします。 -
米国議会図書館所蔵シェーカー教関係資料
The Shaker Collection
キリスト再臨信徒連合会(United Society of Believers in Christ's Second Appearing)は1740年代のイギリスでクエーカーから分離する形で生まれた教団です。身体を激しく揺らしながら礼拝する特異な儀式から、「シェーカー教」と呼ばれるようになりました。教義の一つとして独身主義を採用しました。迫害を避けて、独立直前のアメリカに移住しますが、平和主義と男女間、人種間の平等を説くその教義は、新天地のアメリカにあっても迫害の対象になりました。しかし、その後アメリカ各地にシェーカー教のコミュニティが生まれ、1830年代にはメーン州からケンタッキー州まで約6,000人の信者が居住する19のコミュニティが形成されるに至りました。シェーカー教が発行する書籍は米国内で広く流通し、その洗練された工芸品、家具、建築は高く評価されました。本コレクションはシェーカー教の書簡、日誌、財務・法務文書、コミュニティの法令・規則を定めた文書、教会関係文書(盟約、賛美歌、指令文、祈祷文、講話、信者名簿等)、信者の著述(詩、自伝、評伝、回想録、随想、証言録等)を収録します。コレクションの大半の資料は18世紀末から20世紀前半にかけてのものですが、1670年代まで遡る資料も一部収録されています。教派としてのシェーカー教の歴史と信者の生活を記録する貴重な資料です。 -
ユタ州とモルモン教徒
Utah and the Mormons
本コレクションは、末日聖徒教会(いわゆるモルモン教会)が発行した定期刊行物、モルモン教の教義を説いた書籍、外部からの批判を受ける中で執筆された教団を弁護する書籍の他、モルモン教会を論難した書籍も収録し、同時代の社会と向き合いながら、布教活動を展開した、モルモン教の歴史を明らかにします。書籍246タイトル、定期刊行物記事約77,000を含みます。 -
FBI人民寺院ジョーンズタウン関係資料
FBI File on Jonestown
1978年南米ガイアナで、全米を震撼させた人民寺院(Peoples Temple)の信者約900名による集団自殺事件が発生しました。教祖ジム・ジョーンズはインディアナ州に教会を設立、公民権運動の影響を受け、幾多の社会改革を実践する一方で、核戦争の脅威という状況の中で、終末論的な思想を抱くようになりました。1970年代になってカリフォルニアに拠点を移し、社会改革を推進しますが、対抗文化運動の機運が退潮する時代状況の中で、人民寺院の運動にも陰りが見え始め、脱会者が増加するなど、様々な歪みが表面化しました。1970年代の後半、ジョーンズは新天地を求めて、南米ガイアナに拠点を移します。信者を帰国させるべく、ガイアナのジョーンズタウンを訪問したライアン下院議員と信者の家族一行が人民寺院メンバーから銃撃を受け、死亡、その直後に、ジョーンズと信者は集団自殺を行ないました。集団自殺発生直後、ジョーンズが政府高官や脱会者を含む暗殺ターゲットリストを作成し、このリストを基にアメリカ国内で暗殺を実行するための指令を出していたとの噂が広まったのを受け、連邦捜査局(FBI)はジョーンズと関わりのある人物を特定し、尋問を行ないました。本コレクションはこれらの尋問の記録です。尋問記録は、武器密輸、麻薬密売、テロ、「白夜」と呼ばれた集団自殺の訓練、信者を心理的にコントロールするための暴力など、ジョーンズタウンにおける人民寺院の実態を克明に伝えると共に、教祖ジョーンズの被害妄想、麻薬常用、異常な性行動を明らかにします。 -
FBIウェーコ/ブランチ・ダビディアン教団関係資料
FBI File on Waco / Branch Davidian Compound
1993年にテキサス州ウェーコで発生した連邦政府とブランチ・ダビディアン教団の対峙は、連邦政府側が係官4名、教団側が教祖を含む約90名の信者が死亡するという事態に至りました。ブランチ・ダビディアン教団の前身は、ブルガリア系移民のヴィクター・ホウテフが設立した羊飼いの杖教団です。ホウテフの死後、数人の指導者を経て、ヴァーノン・ハウエルが指導者になります。ハウエルはデビッド・コレシュと改名し、『ヨハネの黙示録』の教えに基づき、終末の到来を予言、終末大戦争に備え、教団施設内に大量の武器を違法に蓄えました。教団施設内では、複数の未成年の少女が教祖の花嫁として性的虐待の被害を受けているとの疑惑も地方紙で報じられました。さらに、教祖が信者を集団自殺に追い込むという人民寺院の悲劇の再来の危険性も指摘されるようになりました。こうして、連邦政府のアルコール・タバコ・火器局が1993年2月28日、教団施設の強制捜査に踏み切ります。これを終末到来の予言の実現と見た教団側との間で銃撃戦に発展、双方に死者が出ます。51日間の対峙の末、4月19日、教団側が施設に火を放ち、教祖と子供を含む多数が死亡しました。本コレクションは、2月28日から4月19日まで、教団側と連邦政府が対峙していた期間に、教団側との交渉を記録する200本のテープに収められた音声記録のトランスクリプトです。 -
FBIアメリカムーア人科学寺院関係資料
FBI File on the Moorish Science Temple of America
1913年、ニュージャージー州ニューアークにムーア人科学寺院を創設したノーブル・ドゥルー・アリ(本名ティモシー・アリ)は、黒人はムーア人の子孫であり、アフリカ系ではなくアジア系であり、ムーア人の遺産を再認識することが黒人アメリカ人の救済と解放に通じるとの教義を唱えました。その教えに従い、信者はムーア人風の名前に改称し、鍔のない円筒形の帽子であるフェズを被ることを慣行としていました。教団の宗教は純粋なイスラーム教ではなく、イスラーム教とブラック・ナショナリズムとキリスト教の信仰復興運動を総合した独自の宗教でした。20世紀初頭はマーカス・ガーベイらの黒人知識人がブラック・ナショナリズムを唱えた時期でもあり、アリの教えもその時代の風潮と共鳴していたのです。また、20世紀初頭は多くの黒人が南部から北部の都市に移住した時期でした。不慣れな環境で精神的ストレスを感じた黒人たちにとって、黒人の人種的復興を説くムーア人科学寺院の教えは心の平安を提供するものと映り、戦間期に信者数は増加しました。本コレクションはムーア人科学寺院に関するFBIのファイルを収録します。アリは政治的には保守的な人物で、政治的急進主義からは距離を置いていました。しかし、黒人を優越した立場に置き、白人は神の懲罰を受けるとのアリの教義は、FBIにとって体制を脅かす危険思想と映りました。FBIは、ムーア人科学寺院を資本主義に敵対的で、革命を扇動する危険のある機関として、1930年代以降40年間にわたり捜査を続け、シカゴの本部やボルティモアやフィラデルフィア等の活動拠点から様々な資料を押収しました。本ファイルはFBIが押収した資料で、情報公開請求により機密解除されたものです。
画面イメージ
さらに詳しく
関連分野
- ヨーロッパ研究
- ユダヤ・ホロコースト研究
- 歴史学
- 人文・社会科学
- 法律・法学
- 政治学・外交研究
- 政治
- 宗教・哲学
- 地域史
- 神学・宗教研究
- 20世紀研究
- アメリカ史
- 世界史
- 時事問題
- 社会史