Road to Palestine
1991年のソ連崩壊後、旧ソ連邦の歴史文書の公開が始まったことは、東欧の学術研究の発展に大きく寄与する結果となりました。その一つがリヴィウのウクライナ国立歴史公文書館で、ソ連統治以前のウクライナ西部の歴史文書を集中的に蒐集している同館は、特に数世紀におよぶガリツィア地方のユダヤ人の歴史文書の宝庫として知られています。本シリーズは19世紀末からナチスドイツがポーランドに侵攻する1939年までのこの地のシオニズム運動の歴史に関する文書を収録するものです。
現在のウクライナ西部は18世紀後半のポーランド分割以降、東ガリツィアと呼ばれ、第一次世界大戦までハプスブルク帝国の統治下にありました。その後、ポーランド、ドイツ、ソ連邦の構成国であるウクライナ社会主義共和国の統治を経て、ソ連からの独立後はウクライナの一部として現在に至っています。ウクライナ西部が様々な民族の支配を受けた歴史は、主要都市リヴィウ(Lviv)の名称の変遷-レンベルク(Lemberg)、ルブフ(Lwów)、リボフ(L'vov)-に如実に現れています。
ウクライナ西部はポーランド南東部(西ガリツィア)とともに、歴史的に多数のユダヤ人が居住していましたが、19世紀後半、これらのユダヤ人の歴史に大きな転機が訪れます。パレスチナの地にユダヤ人の国家を建設することによりヨーロッパ社会で迫害を受けてきたユダヤ人を解放しようとするシオニズム運動が全欧的な規模で大きな勢力を形成するようになります。ガリツィア地方はシオニズム運動が大きな盛り上がりを見せた地域で、シオニズム運動を推進する様々な団体が設立されました。
第一次大戦後のハプスブルク帝国の崩壊を経て、ポーランド・ソビエト戦争後のリガ条約(1921)によりウクライナ西部がポーランド領になると、この地のユダヤ人はポーランド議会への被選挙権を付与されるなど、ポーランド憲法下で少数民族の権利を保障されました。その一方でポーランド人の民族主義が高揚する中で反ユダヤ主義が蔓延し、ユダヤ人への迫害が発生する中で、特にユダヤ人の青年層の間に草の根レベルでシオニズムが浸透しました。ウクライナ西部のシオニスト団体は西欧の団体本部と情報交換や連携を図りながら、ユダヤ人のパレスチナへの移住計画を推進しました。
本シリーズはリヴィウを中心とするウクライナ西部のシオニスト団体文書を通して東欧ユダヤ人が置かれていた政治と社会状況を浮き彫りにするとともに、パレスチナへの移住計画を克明に記録します。書簡、会議録、報告書、回状等の収録文書のうち、多数を占めるのは書簡で、エルサレム、テルアビブ、ロンドン、パリ、ベルリンのシオニスト団体本部とリヴィウの支部間で交わされた往復書簡、ワルシャワ、クラクフ、リヴィウのシオニストセンター間の書簡が移住計画の実態を詳らかにします。青年シオニスト団体、女性団体の文書の他、国家警察の文書も含まれ、リヴィウを中心とする東欧ユダヤ人の社会生活、パレスチナ移住計画の実態が多面的に明らかにされます。収録文書の言語はヘブライ語、イディッシュ語、ドイツ語、ポーランド語、英語です。
以下の3コレクションから構成されます:
シオニズム団体 1908-1939年
Zionist Organizations, Lviv, Ukraine, 1908-1939
- 収録年代:1908年-1939年
- 総ページ数:約75,000ページ
女性・子供関係団体 1925-1939年
Women's and Children's Organizations, Lviv, Ukraine, 1925-1939
- 収録年代:1925年-1939年
- 総ページ数:約27,000ページ
政府記録 1890-1939年
Government Records, Lviv, Ukraine, 1890-1939
- 収録年代:1890年-1939年
- 総ページ数:約2,000ページ
(マイクロ版タイトル:Ukrainian Archives: Road to Palestine: Zionist Movements in Lviv (State Historical Archive of Lviv): Parts 1-3)
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関連分野
- 東欧・ロシア研究
- ユダヤ・ホロコースト研究