Saudi Arabia: Records of the U.S. Department of State, 1930-1959
サウジアラビアは、それまでオスマン=トルコに従属していた複数の部族を糾合して建国されました。アラビア半島における中央集権国家の形成は、貴族、商人その他、あらゆる階級の利害を代表し、部族間の紛争を終結させ、この地に安定をもたらすことを意味しました。国の境界線を確定する作業は課題を残したものの、1930年までにイラク、ヨルダン、クウェートとの国境の大半が確定しました。1932年に聖地メッカとメディナを含む半島西部の地ヒジャーズ、ナジュドその他、イブン・サウード支配下の地域を統一し、サウジアラビア王国が建国されました。1930年代後半、原油産出国サウジアラビアは、第二次大戦開戦直前にあって、連合国と枢軸国の両陣営が接近を試みました。原油の輸出は1938年に始まり、年間産出量は50万バレルにおよびました。1940年代には原油の掘削が進み、国は繁栄し、原油経済は国家の構造を大きく変容させることになりました。1957年に米国を訪問した国王は、アイゼンハワー大統領が年頭の一般教書演説で発表した中東への共産主義の浸透を抑止する政策(アイゼンハワー・ドクトリン)を支持し、米国がサウジアラビア国内の空軍基地を使用する権利を更新しました。サウジアラビアは親米拠点として中東の地政学に大きな影響力を及ぼすことになります。
本コレクションは、米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わしたサウジアラビアの政治、経済、社会、軍事動向に関する往復書簡です。往復書簡の他に、国務省スタッフが用意した報告書や覚書、国務省と外国政府との交信記録、国務省以外の省庁、民間企業、個人との往復書簡も収録されています。本コレクションがカバーする期間、バート・フィッシュ(Bert Fish)、アレクサンダー・カーク(Alexander C. Kirk)、ジェイムズ・モース・ジュニア(James S. Moose, Jr.)、ウィリアム・エディー(William Alfred Eddy)、J.ライヴズ・チャイルズ(J. Rives Childs)、レイモンド・ヘア(Raymond A. Hare)、ジョージ・ワズワース(George Wadsworth II)、ドナルド・ヒース(Donald R. Heath)の8名がサウジアラビアの公使、大使として派遣されました。本コレクションは、建国から20世紀半ばにいたるサウジアラビアと中東地域に関する政治、外交、経済、社会情勢に関する重要な情報を含む貴重なコレクションです。
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