The Rise and Fall of Senator Joseph R. McCarthy
1950年、ジョセフ・レイモンド・マッカーシー上院議員が国務省に205人の共産党員が在籍しているとした演説は全米に大きな衝撃を与えました。それまで無名の上院議員だったマッカーシーは、冷戦下の米国社会に漂う反共の感情の波に乗り、一躍反共の闘士として注目を集めるようになりました。マッカーシーは上院査問委員会の委員長として、中国専門家のオーウェン・ラティモアをはじめ、共産主義国とコネクションのある政府の役人、政治家、知識人や容共派とみなした人々を追及しました。マッカーシーの追及を受け、公職を追放された人々の数は多数に上りました。
しかし、これを行き過ぎと見なす政治家が身内の共和党員の中にも現れ、公聴会での独断的な追及姿勢をテレビ中継で見た多くの国民の離反を招いた結果、1954年12月にマッカーシーは上院で非難決議を受け失脚、その政治生命は短命に終わりました。マッカーシーの赤狩りはマッカーシズムとして歴史に名を残します。
本コレクションはマッカーシーに関する文書群を、マッカーシズムの時代の米国政治と社会を再検討するための歴史資料として提供するものです。議会の委員会や公聴会の議事録、書簡、新聞記事の切抜き等を収録します。
(マイクロ版タイトル:Rise and Fall of Senator Joseph R. McCarthy)
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