U.S. Operations Mission in Iran, 1950-1961
本コレクションは、1950年から1961年までの米国の対イラン援助を技術協力局、相互安全保障庁、対外活動庁、国際協力局等の対外援助実施機関の文書約39,000ページを通して明らかにするものです。イランをケーススタディとする初期冷戦時代の米国の援助政策に関する貴重な文書群です。
トルーマン大統領が1949年の就任演説で述べた対途上国開発援助計画(通称「ポイント・フォア・プログラム(Point Four Program)」)は途上国の共産主義化を防ぎとめ、資本主義経済圏での安定的成長に向けた支援を行なうことを主眼とするもので、欧州復興計画(通称「マーシャルプラン」)で進められた援助政策をアジアやラテンアメリカにも拡大する政策的意図を表明したものでした。イランには1950年代初頭に米国から専門家が派遣され、その助言と協力の下で道路やダム等のインフラ整備や農業振興が図られるとともに、イランの技術者を米国等の国々に派遣する教育研修プログラムも実施されました。公衆衛生の分野では、殺虫剤DDTの撒布でマラリア媒介蚊が激減したことにより人口増加がもたらされるという顕著な成果が得られました。教育の分野では家政(Home Economics)教育プログラムが女子教育に取り入れられ、教科書や雑誌を通じて米国式生活様式や消費生活への憧れの気持ちを育みました。
途上国援助を実施する米国政府機関は1950年代に再編を繰り返しました。トルーマン政権下の1950年に技術援助を管轄する技術協力局(Technical Cooperation Administration, TCA)が国務省内に設置されます。朝鮮戦争が勃発し冷戦が激化する中で、1951年には相互安全保障法(Mutual Security Act)が成立、従来の経済中心の援助から経済と軍事を一体化した援助へと援助政策の軸足が移され、マーシャルプランを実施した経済協力局(Economic Cooperation Administration, ECA)は廃止、相互安全保障庁(Mutual Security Agency, MSA)が途上国援助の実施機関として設立されます。アイゼンハワー政権誕生後の1953年には相互安全保障庁は対外活動局(Foreign Operations Administration, FOA)に再編され、1955年には対外活動局の廃止に伴い、継承機関として国際協力局(International Cooperation Administration, ICA)が国務省内に設置されます。これにより援助政策が外交政策の中に位置づけられるとともに、経済や技術の民生分野の援助が軍事援助から切り離されます。ケネディ政権誕生後の1961年に国際協力局は廃止され、国際開発庁(United States Agency for International Development, USAID)が設立され、今日まで活動を継続しています。
(マイクロ版タイトル:Records of U.S. Foreign Assistance Agencies, 1948-1961: U.S. Operations Mission in Iran, 1950-1961)