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かつてある著名な男性作家が、19世紀に著作を出版した女性作家たちを「つまらない物書きのいまいましい女ども(damned mob of scribbling women)」と揶揄したことがあった。その「女ども」は実際に何を書いていたのか、『アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年』によって、学生や研究者は正確に発見することができるようになる。そして彼女たちは、実にありとあらゆる物事について書いていたのである。

キャロライン・ティックナー『ホーソーンとその出版社』(1913年)
キャロライン・ティックナー『ホーソーンとその出版社』(1913年)
Ticknor, Caroline. Hawthorne and his publisher. Houghton Mifflin Company, 1913. Women's Studies Archive

 

本出版企画により、19世紀米国で女性によって執筆、編集あるいは翻訳された総量100万ページにもおよぶ出版物がデジタル化されて閲覧できるようになる。その多くが初めてデジタル化されるものである。単著、共著、編集、翻訳の別は問わず、女性による作品に限定された本コレクションは、実に幅広い主題やジャンルのものを含んでいる。全文検索ツールと高度な分析ツールは新たな研究への道を開き、女性による執筆活動を他の女性による作品と照らし合わせながら研究することが可能になるだろう。

本企画のために、マサチューセッツ州ウスターにあるアメリカ古書協会(American Antiquarian Society, AAS)の所蔵資料から、女性による何千点もの出版物が選りすぐられた。同協会は米国における最初期の印刷物を最も幅広く所蔵する図書館である。一人の引退した印刷業者によって1812年に創設された当初からこうした出版物を収集していたことが、その理由の一つである。協会の司書や学芸員、会員、支援者らは、初期の米国で印刷されたありとあらゆるものを、宝くじや三文小説のような俗っぽいものも含めて、2世紀以上にわたって精力的に収集してきた。収集範囲をそのように広くとってきたおかげで、他のコレクションには収蔵されないことが多かった何千もの女性作品も集めることができた。

ここには、紳士の書斎を美しく飾ったであろう文芸作品の革装丁の初版から、街角で叩き売られていたと思われるいかがわしい歌詞の載った安物パンフレットまで収蔵されている。かつては軽視され読み捨てられていたものが、今では研究者が最も欲しがる資料となっていることは珍しくない。それらは往々にして社会でなおざりにされた人々の手によるもので、それだけに図書館にも残っていない場合が多い。出版や収集、収蔵活動において、そうした作品は常に差別の憂き目にあってきたからだ。ゆえに、残された資料はどれもいっそう貴重となっている。

 

著者について

『アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年』に少なくとも1作品が収められている女性著者の数は2,000人を超える。彼女たちは階級も、年齢も、結婚歴も、職業もさまざまで、出身地も全米にまたがっている。彼女たちの本やパンフレットは、東はメイン州のポートランド市から西はオレゴン州のポートランド市にいたるまで全米各地で発行されたものである。米国以外で出版されたものも少なからず含まれる。著者の中には女性の権利運動の草分けもいれば、女性参政権に反対する活動家もおり、有色人種の女性もいれば、あからさまな人種差別主義者もいた。オハイオ州デイトンで『明かされた神秘(The Mystery Revealed)』(1854年)を出版したメアリー・アン・ワッツ(Mary Ann Watts)のように、みずから地元の小さな町の新聞社へ出向き、印刷代を払って自作の詩を100部ほど発行した女性もいた。同作はアメリカ古書協会に1部のみが所蔵されている。一方、『アンクル・トムの小屋(Uncle Tom’s Cabin)』(1853年)の著者ハリエット・ビーチャー・ストウ(Harriet Beecher Stowe)のように、大都市の出版社と契約し、わずか数カ月で著作が何十万部も売れて大もうけした有名作家もいる。ただひとつの普遍的なアメリカ人の経験などというものが存在しないように、女性たちの作品の幅広さもまた、女性たちの歩んできた道がみな同じではなかったことを物語っている。

メアリー・アン・ワッツ『明かされた神秘』(1854年)


メアリー・アン・ワッツ『明かされた神秘』(1854年)
Watts, Mary Ann. The mystery revealed; view of heaven and hell: Dissension; or, Spiritual Babylon, founded on the word of God; in poems and prose: By Mary Ann Watts; In four books. Book III. Printed for the Author, at the Telescope Office: Dayton, Ohio, 1854. Women's Studies Archive.

 

黒人や先住民、ラテン系女性の出版物も、数は少ないものの『アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年』に含まれており、コレクションの重要な部分を成している。19世紀の米国では、有色人種の女性が作品を出版できる機会はごく限られていた。彼女たちにとって、読み書きを習い、白人が主流の印刷業者や出版社、編集者たちのネットワークに参加できるチャンスはほぼ皆無だった。しかし中には、伝記や小説、占星術などの本を執筆し、自分たちで印刷した有色人種の女性もいた。ソジャーナ・トゥルース(Sojourner Truth)のように、自らは文字が書けなかった女性でも白人の筆記者を雇って共著として出版したケースもある。家族が経営する出版社を手伝いながら出版した女性もいた。やはりアフリカ系女性で「インディアンの女医(Indian doctress)」を自称していたメアリー・ジェーン・ランドルフ夫人(Mrs. Mary Jane Randolph)は、夫とともに『健やかな時と病める時の人間愛(Human Love in Health and in Disease)』(1860年)を出版したが、その表紙には出版者として夫の名前が記されていた。しかし翌年、ランドルフ夫人自身も夫の本の1冊に出版者として名を載せ、その後2人の本には「ランドルフ出版社(The Randolph Publishing Company)刊」と記されるようになった。

 

メアリー・ジェーン・ランドルフ夫人『健やかな時と病める時の人間愛』(1860年)
P・ベヴァリー・ランドルフ博士/メアリー・J・ランドルフ夫人『健やかな時と病める時の人間愛』(1860年)
Randolph, Paschal Beverly, and Mary J. Randolph. Human love, in health and in disease; or, The grand secret: By Dr. P. Beverly Randolph, Indian physician and scrofula curer. and Mrs. M. J. Randolph, Indian doctress, midwife and curer of the diseases of women and children. P. B. Randolph, 1860. Women's Studies Archive.

 

どの著者にも、著作のみからはうかがい知れない物語や人生があり、執筆活動以外にも様々な仕事の集積があるはずであり、それらも探索の対象となりうる。しかし実際には、一部の有名な作家を除き、19世紀のアメリカ人女性作家の生涯について情報を得るのは容易ではない。『アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年』に作品が収められている女性のほとんどは自分のことを「著者」とは認識していなかっただろうし、その多くの著書は1作のみで、かつその大多数は歴史に名を残すこともなかった。

アメリカ古書協会がこうした作品を掘り起こすためにとった手法の一つがいわゆる「典拠管理作業(authority work)」である。協会の学芸員や目録編集者は何十年にもわたって可能な限り多くの女性著者を同定し、各著者の典拠形(authorized heading)(標準化された表記法による著者名、および詳細。統一標目とも呼ばれる)を作成してきた。この情報は名称典拠ファイル(name authority file)と呼ばれる公式の登録データに記録される。これは、すべての書誌レコードで同一表記の著者名を用いることによって研究者が容易に検索できるよう、各図書館が使用に同意しているものである。実際、アメリカ古書協会は、著者名を「認定」して米国の著者であることを公式に認め、米国議会図書館が保有する名称典拠ファイルに加える権限を有する機関の一つである。このファイルに女性の著者を加えるのは、男性の著者を加えるより往々にして難しい。女性著者の生涯は男性著者のようには知られていないことが多いからだ。

統一標目を作成するためには、著者が他の人物でないことを示す十分な情報を収集しなければならない。没後何百年も経った無名の人物を特定するのが容易ではないことは常であるが、女性著者の場合はなおさらだ。女性の公的な存在の記録は同時代の男性の陰に埋もれている場合が多い。書誌目録編集者は通常、人物のさらなる情報を得るために、住民名簿や国勢調査記録、新聞などを調べるが、女性が本名で記載されていたり、世帯主となったりしていることは稀だ。女性の名前は結婚によって変わることが多く、それが複数回のこともある。「ジョン・H・キンジー夫人(Mrs. John H. Kinzie)」のように、夫の名前で出版しているが、役所の記録には出生時の氏名が記載され、さらにはライフステージごとに異なる氏名を用いていたケースもある。

ジョン・H・キンジー夫人『ワー=バン:北西部の“初期の日”』(1901年)
ジョン・H・キンジー夫人『ウォー=バン:北西部の “早朝”』(1901年)
Kinzie, John H., and Reuben Gold Thwaites. Wau-bun: the "early day" in the North-west: by Mrs. John H. Kinzie. The Caxton Club, 1901. Women's Studies Archive.

 

いつ出生し、いつ死亡したのかさえ分からない女性著者も中にはおり、その場合に提供できる年代情報は執筆活動期間となる。バーモント州で服の仕立ての解説書を2版出版した著者は、アメリカ古書協会のオンライン書誌目録レコードの出版記録情報に「ジョーンズ, アマンダ(Jones, Amanda)、1822~1823年に活動」とだけ記されている。この公認項目には、確実に分かっている情報、つまり2版の本の扉に記されたアマンダ・ジョーンズの名前と、その2版が出版された年だけが記載されている。

アマンダ・ジョーンズ『紳士服の仕立て』(1822年)
アマンダ・ジョーンズ『紳士服の仕立て』(1822年)
Jones, Amanda. Rules and directions for cutting men's clothes, by the square rule: by which, in a few hours, a person may acquire such a knowledge of the art, as will enable him to cut all sizes and fashions, with the greatest accuracy. Published by Amanda Jones. J. W. Copeland, Printer, 1822. Women's Studies Archive.

 

女性による著作物には、著者名さえ分からないものや無名もしくはペンネームで出版されたもの、著者がはっきりしないものもある。「アメリカ人女性」や「我が子を亡くした母」としか書かれていない場合もあるが、そうした書物の序文を読むと、なぜ女性が自分の名前をあえて印字しなかったのかが分かる。著書を世に出すことは、うぬぼれていると思われたり、淑女にはふさわしくないとみなされたりしかねなかったからだ。しかし、男性にも匿名で出版したり序文で自らを卑下したりする風習もあったため、匿名や偽名での出版にジェンダーがどれほど影響したのかは定かではない。

我が子を亡くした母『幼きナネットの物語』(1858~1865年頃?)
我が子を亡くした母『幼きナネットの物語』(1858~1865年頃?)
Bereaved Mother, et al. Little Nannette: A narrative: by a bereaved mother. 46. Illustrated by Frederick M. Coffin, Published by the American Tract Society. 150 Nassau Street, New York. 28 Cornhill, Boston, [Between 1858 and 1865?]. Women's Studies Archive.

 

さらに、本に名前が記されている人物がどの程度本の制作に関与したかもはっきりしない例もある。『占い大全、夢判断(The Complete Fortune Teller, and Dream Book)』(1824年)の扉には「マサチューセッツ州在住の有色人女性、クロエ・ラッセル(Chloe Russel)著」と記されており、この著者と思われる人物の生涯も研究者らによって特定されている。だが、この本の執筆において彼女がどれほどの役割を果たしたのか、あるいは宣伝のために彼女の名前が使われただけなのかは分かっていない。2 この場合、『アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年』ではそのように不確かな作品でもあえて含める判断をしている。

クロエ・ラッセル『占い大全、夢判断』(1824年)
クロエ・ラッセル『占い大全、夢判断』(1824年)
Russel, Chloe. The complete fortune teller, and dream book: by which every person may acquaint themselves with the most important events that shall attend them through life: To which is added, directions for young ladies how to obtain the husband they most desire; and for young gentlemen, how to obtain the wife they most desire: By astrology--physiognomy, and palmistry. Anatomy--geometry--moles, cards and dreams: By Chloe Russel, a woman of colour, in the state of Massachusetts. Published by Abel Brown, 1824. Women's Studies Archive.

 

著作物について

女性によるあらゆる著述物を1カ所に集めることで、単なる「名作小説ライブラリー」よりも大規模で包括的なリソースが出来上がった(ちなみに本コレクションにもまさに「名作小説ライブラリー(A Library of Famous Fiction)」という題名のアンソロジーが収められているが、ハリエット・ビーチャー・ストウが書いた序文以外に女性による作品は1作しか入っていない)。この新たなリソースには、何百冊もの詩集や宗教書、児童書も含まれている。中には、口頭で伝承されてきたためにもはや研究不可能と思われていたものまでが、書き起こされて収められている。プリシラ・カドワラダー(Priscilla Cadwallader)やアナ・ブレイスウェイト(Anna Braithwaite)などの女性による説教や、サウスカロライナ州の解放奴隷学校を支援する募金活動のために各地でコンサートをしていた元奴隷グループの1人、クリスティーン・ラトレッジ(Christine Rutledge)が記憶をもとに歌を書き起こした『霊歌集(Spirituelles)』(1873年)などがそれである。

クリスティーン・ラトレッジ『霊歌集』(1873年)
クリスティーン・ラトレッジ『霊歌集』(1873年)
Rutledge, Christine, and Carolina Singers. Spirituelles: (unwritten songs of South Carolina), sung by the Carolina Singers, during their campaigns in the North, in 1872-73: Written for the first time, from memory, by Christine Rutledge, (one of the singers.). Henry L. Acker, Book & Job Printer, No. 1226 Chestnut Street, [1873?]. Women's Studies Archive.

 

女性の作品は、料理本や小説、児童書など家庭に関するものが多いが、19世紀の女性が書く対象・読まれる対象を家庭に限定していたわけではない。メアリー・ウィルへルミン・ウィリアムズ(Mary Wilhelmine Williams)著『英米のパナマ地峡外交 1815~1915年(Anglo-American Isthmian Diplomacy, 1815-1915)』は政治史を、メアリー・クレイグ・シューメーカー(Mary Craig Shoemaker)著『カンバーランド峡谷の五つの典型的なスコットランド=アイルランド系家庭(Five Typical Scotch Irish Families of the Cumberland Valley)』は系譜学および郷土史を扱ったものだ。さらに、クララ・バートン(Clara Barton)による赤十字関連の医学書などもある。

メアリー・ウィルへルミン・ウィリアムズ『英米のパナマ地峡外交 1815~1915年』(1916年)
メアリー・ウィルへルミン・ウィリアムズ『英米のパナマ地峡外交 1815~1915年』(1916年)
Williams, Mary Wilhelmine. Anglo-American Isthmian diplomacy, 1815-1915: by Mary Wilhelmine Williams. American Historical Association; Humphrey Milford Oxford University Press, 1916. Women's Studies Archive.

 

19世紀には女性著述物のジャンルや主題の幅が広がっただけでなく、出版数もかつてないほど増えた。印刷物が総体的に増えたことも理由の一つで、産業革命によって生活の多くの面が変わる中、19世紀の印刷も変容を遂げた。さらに社会や文化も移り変わって、女性も以前より著作物を残しやすくなったのだった。

1820年代には米国で新しい印刷技術が普及したことで、より簡単かつ安価に印刷できるようになった。手すきの紙から機械製の紙へ、手引き印刷から蒸気動力による鉄製輪転印刷へ、また、増刷のたびに活字を組み直す代わりに組版を複製したステロ版を使用するようになるなど、さまざまな技術革新が起こった。本を安く印刷できるようになると、出版社は18世紀の頃ほど多額の先行投資が必要無くなり、売れるかどうか確信できない本も出版される可能性が出てきた。これによって出版へのハードルが下がり、女性作家たちもまた、より安く大量に印刷できることで生まれたチャンスに便乗するようになった。

メアリー・ハートウェル・キャザーウッド『ボニーとバン:印刷屋をはじめる』(1898頃)
メアリー・ハートウェル・キャザーウッド『ボニーとバン:印刷屋をはじめる』(1898年頃)
Catherwood, Mary Hartwell. Bony and Ban: the story of a printing venture: by Mary Hartwell Catherwood. Lathrop Publishing Company, [c1898]. Women's Studies Archive.

 

同じく19世紀、米国では新しい読み物を求める人の数が増加した。普通教育の要求と世界有数の識字率の高さが相まって、米国で印刷の需要が高まった。煽情的なフィクションや児童書のような安価な作品は、評価こそ低かったが、女性作家にとっては文壇への最初の入り口となった。出版社の側も、女性作家の作品が大衆受けしたこと、そして女性の労働が男性に比べ低く評価されていたために男性作家よりも安い原稿料で済んだことから、女性作家の出版を採算がとれる事業とみなすようになった。

19世紀の女性たちによって書かれた本やパンフレットは、数としては増えたものの、注目されないまま消えていくものも多かった。複利法が借金を雪だるま式に増やしていくように、格差もまた、複合的に作用することでますます拡大していったのである。19世紀の女性の作品は当時の男性が書いた作品よりも低くみられ、そうした低評価が出版、保存、研究、収集に値する作品の判断基準にも影響をおよぼした。女性の作品は公の権威あるアーカイブには保存されにくく、「標準的な」書誌に掲載される機会も少なく、そのためにデジタル化プロジェクトの対象になりにくくなる、というように不平等の連鎖が長く続いた。こうした格差や障壁のひとつひとつが、有色人種の女性の場合にはさらに累乗的に大きくなる。

アニー・L・バートン『奴隷少女の思い出』(1909年)
アニー・L・バートン『奴隷少女の思い出』(1909年)
Burton, Annie L. Memories of childhood's slavery days: by Annie L. Burton. Ross Publishing Company, 1909. Women's Studies Archive.

 

是正にはさらなる組織的な取り組みが必要であり、『アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年』はその一歩となるだろう。この企画は、アメリカ古書協会の学芸員や書誌目録編集者たちが何十年にもわたって、研究者が協会のコレクションの中から女性による作品を特定できるように整備してきた努力の成果でもある。できるだけ多くの女性著者を特定できるように、アメリカ古書協会のスタッフが近年行ってきたことのひとつが、19世紀の国勢調査データを用いた取り組みである。まず国勢調査から各10年期ごとにもっとも多かった女性の名前を調べあげ、次に目録編集者たちがそれらの名前と一致する著者名をもつ作品をアメリカ古書協会の全目録の中から探しだし、さらにその作品が本当に女性によって書かれ、編集され、翻訳され、あるいは共著されたと断定できるかどうかがチェックされた。アメリカ古書協会の目録の中で、1900年より前にそうした著者名で出版された作品はすべて、「著者としての女性(women as authors)」という協会独自の件名標目、つまり米国議会図書館による公的な認定を受けていない分類項目を割り当てられ、その情報が『アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年』に収録すべきタイトルを特定するのに利用されている。こうしてデジタル化されたことにより、今ではそれらの作品の全テクストを一度に検索し、互いを参照できることとなった。

人類のほぼ半数が女性であるにもかかわらず、女性の語る言葉は男性のものといつも同等に尊重されてきたわけではなかった。『アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年』は出版された女性の言葉を真摯に受け止め、他の女性たちの言葉との対話を可能にすることで、新たな研究領域を確立することを狙う。つまるところ、実際に対象を見ることができなければ、研究は始まらないのだ。
 

女性研究アーカイブ『アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年』の画面イメージ
女性研究アーカイブ 第3部:アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年のホーム画面

 

1:これはナサニエル・ホーソーンが1855年に出版社に宛てた書簡のなかで用いた表現である。Caroline Ticknor, Hawthorne and His Publisher (Boston: Houghton Mifflin, 1913) p.141より。

2:Gardner, Eric. “"The Complete Fortune Teller and Dream Book": An Antebellum Text "By Chloe Russel, a Woman of Colour,"” The New England Quarterly, Vol. 78, No. 2 (June 2005): 259-288.

無断転載を禁じます。

引用書式の例:ポープ, エリザベス・ワッツ(センゲージラーニング株式会社 訳)「『アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年』について」 女性研究アーカイブ 第3部:アメリカ古書協会所蔵 稀少タイトル・コレクション 1820-1922年. Cengage Learning KK. 2022

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