ホーム > 一次資料アーカイブ (Primary Sources) > 歴史新聞・雑誌アーカイブ > ボードリアン図書館所蔵 ニコルズ収集 17世紀~18世紀 英国新聞コレクション > ボードリアン図書館所蔵ニコルズ新聞コレクションについて
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ジョン・ニコルズ
The annual biography and obituary. Vol. 12, Longman; (A. Strahan), 1817-1837. Sabin Americana: History of the Americas, 1500-1926
はじめに
ジョン・ニコルズ(John Nichols, 1745-1826)は、ロンドンの著名な印刷者であり、その師匠でパートナーだったウィリアム・ボウヤー(子)(William Bowyer the Younger)から事業を受け継いだのが1777年、1804年には印刷出版業組合のトップにのぼり詰めた人物である。1 また、著名な文学伝記作家、好古家でもあり、ホガースやスウィフトの伝記、レスターシャー州の歴史を含むその著作は現在も学者らに情報と着想を提供し続けている。2 彼の研究の多くは、自らが所有していた17世紀から18世紀にかけての新聞の膨大なコレクションに基づくものであった。本エッセイでは現存するニコルズ家文書について私が進めている研究に基づいて、ジョン・ニコルズの新聞コレクションの歴史をたどっていく。ニコルズがどのように新聞を収集していったのかを示し、それが彼の研究に及ぼした影響を探り、1865年にボードリアン図書館が取得するまでにコレクションがたどった紆余曲折を考察したい。
見習いから伝記作家へ
ニコルズの初期の新聞に対する関心は、そのキャリアや研究と不可分に結びついていた。ニコルズは1757年にボウヤーに弟子入りし、1766年にパートナーに昇格、ボウヤーの死を受けて彼が受け継いだ印刷事業は、議会やいくつかの学会の印刷物を手がけるなどロンドンでも最大規模であった。3 ニコルズの愛想よい人柄と鋭いビジネス感覚はその事業を急速に業界トップへと押し上げていくこととなる。利益の上がる著作権を書籍販売者と共有し、ほどなくしてサミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson)による有名な『イギリス詩人伝(Lives of the English Poets)』プロジェクトにかかわるようになった。4 また、ニコルズは、伝記や逸話の全盛期にあって、同時代人すべてを合わせた分量を上回る出版業界、好古家、作家に関する伝記的情報を収集、保管、印刷していた。その書簡と出版物から、彼が当時の歴史・伝記に関する重要な著述活動の大半に関わっていたことがうかがえる。5 ニコルズの『18世紀文人逸話集(Literary Anecdotes of the Eighteenth Century)』と『実録18世紀文学史(Illustrations of the Literary History of the Eighteenth Century)』は、長い18世紀の文壇と文化を研究する上で必読の書と言える。6
サミュエル・ジョンソン『イギリス詩人伝』第5巻(1779年)
Johnson, Samuel. Prefaces, biographical and critical, to the works of the English poets. By Samuel Johnson. Volume the Fifth. Vol. 5, printed by J. Nichols, MDCCLXXIX. [1779]. Eighteenth Century Collections Online
ニコルズの新聞に対する当初の関心
ニコルズの興味の多くはウィリアム・ボウヤーの影響をうけていたが、新聞への関心は独自に芽生えたものだった。ボウヤーはニュースシートの印刷を手掛けていなかったが、恐らくニコルズはロンドンに多くあったコーヒーハウスでそうした印刷物の最新号や古い号を目にしていたのであろう。7 見習い時代には(1767年までボウヤーの印刷所があった)ホワイトフライアーズという不健全な地区とストランド街をつなぐ路地であるデブルー・コートのトムズ・コーヒーショップに足繁く通っていた。この店で触れられる豊富なニュースシートや、ボウヤーの著名な顧客らが交わす文学的会話に影響を受けたのであろう。8 新聞に詩を投稿し始めた彼は、犯罪者の聖域として知られるホワイトフライアーズ地区をほのめかす “アルセイシアの不器用な職人(The Cobbler of Alsatia)” というペンネームをよく用いた。初投稿は17歳だった1762年1月1日、『ガゼッティアー(The Gazetteer)』に掲載された英西戦争についてのアクロスティックだった。これに続き、12紙を超えるさまざまな新聞で30以上の詩が掲載されていることから、当時の新聞業界についての確かな知識がうかがえる。9 また、スウィフトの作品を編集する師匠の助手を務める中で前時代の雑誌に精通していった。10
コレクションの形成
ニコルズが初期の新聞を収集し始めたのは1778年前後に『ジェントルマンズ・マガジン(Gentleman’s Magazine)』の株式を大口購入した頃からであった。この有名な雑誌は、1731年にエドワード・ケイヴ(Edward Cave, 1691-1754)が「(最近、すべて閲覧するには、それを生業としない限り不可能なくらい増殖しすぎた)新聞において一般大衆に日々提供されている、機知、ユーモア、知性に富んだ記事の概要をすべて月刊で」提供すべく創刊したものである。11 1765年から同誌に寄稿していた12 ニコルズは、1782年までには唯一の印刷者兼編集者となり、さまざまなペンネームを併用して寄稿や討論を奨励する見事な編集技術を身につけていた。1778年には同誌に関するパンフレット、『機知の現況(The Present State of Wit)』(1711年)の著者をジョン・ゲイ(John Gay)に帰しつつ、「著名な作家による際物(fugitive pieces)の収集は、ここしばらく、私の楽しみの一つであったが、かなり集められたと考えている」と述べている。13 当初、そうした際物作品の多くは新聞に掲載されており、ジョンソンの『イギリス詩人伝』を印刷していたニコルズは、その調査における新聞の有用性に気づいていた。ニコルズ所有の1714年12月23日~25日の『ポスト・ボーイ(The Post Boy)』紙には、ポープ訳ホメロス予約購読者向けの広告の部分に自筆の注記が残っている。そのような告知は、ジョンソンが解説する詩人たちによる作品についての極めて重要な資料だった。14
『ジェントルマンズ・マガジン』1765年7月号に掲載されたニコルズ(J・N)の詩「春」
J. N. "SPRING. A POEM." The Gentleman's Magazine, vol. 35, 1 July 1765, p. 335. American Historical Periodicals from the American Antiquarian Society
右)ジョン・ゲイ『機知の現況』(1711) 左)それに言及したニコルズの寄稿(『ジェントルマンズ・マガジン』1778年7月1日)
EUGENIO. "Genine Fragments of our best Poets." The Gentleman's Magazine, vol. 48, 1 July 1778, p. 312. American Historical Periodicals from the American Antiquarian Society / Gay, John. The present state of wit, in a letter to a friend in the country. Printed in the year, 1711. Eighteenth Century Collections Online
ニコルズの手書きメモを残す『ポスト・ボーイ』(1714年12月23日~25日)
Post Boy [1695], 25 Dec. 1714. Seventeenth and Eighteenth Century Nichols Newspapers Collection
会社の台帳は1699年にまでさかのぼり、そこにはボウヤーの顧客、プロジェクト、ロンドンの同業者との共同印刷に関する日々の記録が残されていた。しかし、ニコルズは、際物・端物の出版については当時の新聞の方がより多くの記録を残しており、時系列に沿った出版史の枠組みを提供してくれることに気づいたのである。自身の師匠にたむけた『印刷者、故ウィリアム・ボウヤー氏の伝記・文学的逸話集(Anecdotes, Biographical and Literary, of the Late Mr William Bowyer, Printer)』(1777年)は、当初52ページしかなかっが、ニコルズがこれを12部印刷してボウヤーの主要な顧客と親しい友人に送ったところ、改訂版に向けた修正、追記に加え、さらなる資料提供の約束も取りつけることができた。ペンネームを用いた『ジェントルマンズ・マガジン』上での呼びかけによってさらに情報が寄せられ、1782年までには700ページ近くに及ぶ四つ折り判の『印刷者ウィリアム・ボウヤーの伝記・文学的逸話集(Biographical and Literary Anecdotes of William Bowyer, Printer)』を発行するのに十分な新たな資料が蓄積されていた。ニコルズは常に同書を、後の『18世紀文人逸話集』と『実録18世紀文学史』に連なる初版と見なしてきた。師匠についての簡素な回想録が、ボウヤー出版社の網羅的な年代記へと変貌し、18世紀の文学文化の全景を示すまでになるうえで新聞は不可欠な資料だった。
ニコルズ『印刷者、故ウィリアム・ボウヤー氏の伝記・文学的逸話集』1778年版
Nichols, John. Anecdotes, biographical and literary, of the late Mr. William Bowyer, printer. Compiled for private use. [s.n.], Printed in the Year MDCCLXXVIII. [1778]. Eighteenth Century Collections Online
ニコルズ『印刷者ウィリアム・ボウヤーの伝記・文学的逸話集』1782年版
Nichols, John. Biographical and literary anecdotes of William Bowyer, Printer, F. S. A. and of many of his learned friends. By John Nichols, his apprentice, partner, and successor. Printed by and for the author, MDCCLXXXII. [1782]. Eighteenth Century Collections Online
ニコルズのコレクションは、1779年頃にジョン・ウィルクス(John Wilkes, 1727-1797)より二つ折り判35巻におよぶ資料群の寄贈を受けたことにより急増した。資料群はウィルクスが政治家として活動していた1768年から1779年までのもので、「彼自身が書き込んだ数多くのコメント、さまざまなトピックに関する印刷物の切り抜き、そして興味深いカリカチュアによる注記が加えられていた。」15 としている。これらはニコルズがその後30年かけて増やしていくコレクションの中核となった。ニコルズとウィルクスは公私にわたって強固な関係を築いており、それは1797年にウィルクスが亡くなるまで続いた。ニコルズ自身もしばらく物騒なシティー政治の世界に引き込まれた時期があった。1784年にはファリンドン・ウィズアウト区の議員になったが、1786年に自身が言うところの「政党間の激しい衝突」により議席を失ってしまう。16 しかし、1787年には、ウィルクスがニコルズをファリンドン・ウィズアウト区南部議員の次席に指名している。
ウィルクスとの付き合いによってニコルズの新聞と政治風刺に対する関心はさらに増していった。1786年3月6日、エドワード・ウィン(Edward Wynne)の蔵書が売りに出された際には相当な量を購入している。ウィンは、ニュースシートや新聞で目にした政治の出来事に関する議会日誌を編集した年譜編者、蔵書家のナーシサス・ラットレル(Narcissus Luttrell, 1657-1732)の文学コレクションを取得していた。現在、大英図書館が所蔵する注釈入りの販売カタログを見ると、この時、ニコルズが取得した資料の中には、『フライング・ポスト(The Flying Post)』(1695-1732)、『ポスト・マン&ヒストリカル・アカウント(The Post Man and the Historical Account)』(1695-1726)、『ポスト・ボーイ』(1695-1727)、『出来事の月次報告(Monthly Account of Occurrences)』(1689年と1692年)に加え、1679年から1703年までの『ポスト・エンジェル(The Post Angel)』と他紙7巻が含まれている。17
『フライング・ポスト』1713年2月24日(1枚刷りの表と裏)
Flying Post, or the Post-Master, 24 Feb. 1713. Seventeenth and Eighteenth Century Nichols Newspapers Collection
コレクションの活用
ニコルズの新聞コレクションはその調べ事に直接活用されていた。例えば、彼が手がけた『リチャード・スティール書簡集(Epistolary Correspondence of Richard Steele)』(1787年)では、『ウィークリー・パケット(Weekly Packet)』、『ミストのウィークリー・ジャーナル(Mist’s Weekly Journal)』、『ロンドン・ジャーナル(The London Journal)』、『ウィークリー・メドレー(The Weekly Medley)』、『ブリティッシュ・ジャーナル、またはセンサー(The British Journal, or the Censor)』、『ポスト・ボーイ』が情報源、逸話や引用の元ネタとして活用されている。また、探している情報が新聞から得られなければ、いつだって『ジェントルマンズ・マガジン』の読者に頼ることができた。
左)『リチャード・スティール書簡集』扉、右上)同、『ポスト・ボーイ』への言及箇所、右下)『ポスト・ボーイ』1714年4月27日号の該当記事
Steele, Richard. The epistolary correspondence of Sir Richard Steele. In two volumes. N.p., 1787. Eighteenth Century Collections Online / Post Boy [1695], 27 Apr. 1714. Seventeenth and Eighteenth Century Nichols Newspapers Collection
1780年代には、ニコルズの関心は彼が「国と地域の遺物への乾いた、いばらの道なき道」と称した地誌学にまでおよんでいる。18 レスターシャー州ヒンクリー出身の最初の妻アン・クラドック(Anne Cradock)の祖先に関する込み入った訴訟にかかわったことが、『英国地誌学叢書(Bibliotheca Topographica Britannia)』の一つとして出版した『ヒンクリーの歴史と遺物(History and Antiquities of Hinckley)』(1782)のための調査と執筆につながった。ここでも新聞が活躍している。ニコルズ所有の『忠実なプロテスタントおよび真実の国内情報(Loyal Protestant and True Domestic Intelligence)』(1682年)には、ヒンクリーのクエーカー教徒に関する情報が書かれていた。また、好古家の友人ウィリアム・コール(William Cole, 1714-1782)も、1645年5月27日付けの『キングダムズ・ウィークリー・インテリジェンサー(The Kingdom’s Weekly Intelligencer)』に掲載されていた、ヒンクリーのジョン・クリーブランド(John Cleiveland)に関する情報を提供してくれた。
ニコルズ『英国地誌学叢書第7巻 レスターシャー州ヒンクリー他の歴史と遺物』(1782)、右はクリーブランドの家系図
Nichols, John. Bibliotheca topographica Britannica. No VII. Containing the history and antiquities of Hinckley, in the county of Leicester; including the Hamlets of Stoke, Dadlington, Wykin, and the Hyde. With a large appendix. Printed by and for J. Nichols, printer to the Society of Antiquaries; and sold by all the booksellers in Great-Britain and Ireland, MDCCLXXXII. [1782]. Eighteenth Century Collections Online
ヒンクリーの歴史で成功を収めたニコルズは、壮大な『レスターシャー州の歴史と遺物(History and Antiquities of Leicestershire)』(1795-1815)に着手するが、ここでも新聞やパンフレットからの引用が数多く活用されている。19 所有する『メルクリウス・アウリクス(Mercurius Aulicus)』、『メルクリウス・アングリクス(Mercurius Anglicus)』、『メルクリウス・ヴェリディクス(Mercurius Veridicus)』、『メルクリウス・シヴィクス(Mercurius Civicus)』では、州の至るところで起こった小競り合い、包囲戦、同盟関係が克明に報じられていた。それらを年代順の叙述に織り込んだことで、イングランド内戦へのレスターシャー州の関わりについての彼の記述がより豊かになっている。また1642年のチチェスター大聖堂冒涜へのノスリーのアーサー・ヘジルリッジ(Arthur Haselrig, 1601-1661)の関与についてのくだりは、『メルクリウス・ルスティクス(Mercurius Rusticus)』の、ヘジルリッジが喜びのあまり、踊り、跳ね回っていたという記述に基づいている。さらに、ジョージ・ジェフリーズ(裁判官)(George [Judge] Jeffreys, 1648-1689)の残忍なキャリアを描写する際には、『ロンドン・ガゼット(London Gazette)』の9つの号を活用し、ジェフリーズが最終的にワッピングで拘束された様子には『ロンドン・マーキュリー(London Mercury)』と『ロンドン・クーラント(London Courant)』を活用している。20
ニコルズ『レスターシャー州の歴史と遺物』第1巻(1795)
Nichols, John. The history and antiquities of the county of Leicester. In four volumes. Vol. 1, printed by and for John Nichols, Printer to the Society of Antiquaries, MDCCXCV. [1795]-1815. Eighteenth Century Collections Online
上)同上より、ジェフリーズの拘束に関する脚注における『ロンドン・マーキュリー』と『ロンドン・クーラント』への言及、左下)『ロンドン・マーキュリー』1688年12月15日号の該当箇所、右下)『ロンドン・クーラント』1688年12月15日号の該当箇所
Op. cit., p. 118 / London Mercury, or Moderate Intelligencer, 15 Dec. 1688. Seventeenth and Eighteenth Century Nichols Newspapers Collection / London Courant, 15 Dec. 1688. Seventeenth and Eighteenth Century Nichols Newspapers Collection
ニコルズは、『ジェントルマンズ・マガジン』の誌面を通して自らの知識を常に共有してきたように、自らが所有する新聞コレクションを学者仲間が自由に活用できるようにしていた。例えば、ジョゼフ・バンクス(Joseph Banks, 1743-1820)は1728年の『クラフツマン(The Craftsman)』を貸してもらいたいと1795年に依頼しているし21 、スタッフォードシャー州のサミュエル・パイプ・ウォルファースタン(Samuel Pipe Wolferstan)は自身の家族史に関連する1737年の新聞からの抜粋の借用について1806年に彼に謝意を伝えている。22 また、地誌学者のジェームズ・ペラー・マルコム(James Peller Malcolm, 1765-1815)も著作『ロンディニウム・レディヴィヴァム(Londinium Redivivam)』(1803-1807)において「過去100年にわたるロンドン市民の習慣、風習、作法、娯楽など」に関する資料として「計り知れないほど貴重な新聞コレクション」を活用した一人である。23
新聞史家としてのニコルズ
ニコルズは、収集した新聞の歴史を記録していた。自身のコレクションやさまざまな情報源を活用し、1588年から1804年までの913タイトルについて目録を編集したが、うち100タイトルはそれまで記録がなかったものである。これは「公共ニュースと週刊新聞:その始まり、発展、増加、そして人々にとっての効用と害悪について(Of Public News and Weekly Papers; when they first began; their progress, increase, and uses and abuses to the people)」というタイトルの下、『文学逸話集』に掲載されている。24 その後、1808年9月には新聞業界の概要を記した付録を追加しており、日刊紙11紙、夕刊紙9紙、日曜版1紙、週2回発行のその他のタイトルをリストアップしている。25 さらに1814年にも、1642年から1800年までの208タイトルが追加された。26
これらの新聞についてのニコルズの解説は非常に価値がある。『インパーシャル・インテリジェンサー(The Impartial Intelligencer)』(1649年3月 第7号)に掲載された2頭の馬を盗まれたサフォークの紳士が出した “広告” は、ニコルズが知る限り初の継続的なものだったし27、また『キングダムズ・インテリジェンサー(The Kingdom’s Intelligencer)』は書籍の広告に効果的であると記されていた。28 また、ロジャー・レストランジェ(Roger L’Estrange Esq.)による『(特権階級のための)インテリジェンサー』(The Intelligencer, published for the Satisfaction of the People, with Privilege)』(1663年)については、「…この新聞には、アン女王の治世に始まったとされる文芸黄金期以前のいかなる後続紙よりも多くの情報、娯楽、広告が含まれていた」としている。29 さらに紙名変更についても記述しており、1709年9月6日創刊の『イブニング・ポスト(The Evening Post)』と1711年7月19日創刊の『ジェネラル・ポスト(General Post)』が統合されて『ジェネラル・イブニング・ポスト(General Evening Post)』となったり、1715年創刊の『セント・ジェームズ・ポスト(The St James’s Post)』と『ジェームズのイブニング・ポスト(The James’s Evening Post)』がヘンリー・ボールドウィン(Henry Baldwin)により統合されて『セント・ジェームズ・クロニクル(The St James’s Chronicle)』となった、という具合である。30
ニコルズは、初期の新聞を印刷・発行したほぼ無名の人々に強い関心を抱いていた。次号の印刷が未亡人名義だったため、エドワード・ジョーンズ(Edward Jones)によって最後に印刷された『ロンドン・ガゼット』が1706年2月14日~18日号であることに気づいたニコルズは、ジョン・ダントンがジョーンズを「非常に寛大であり、際だって心優しい商いを営み、『トゥルー・ニュース(True News)』の印刷と『ロンドン・ガゼット』の発行により、正当な名声を手に入れた」と評した記述を印刷し、彼の死を悼んで、『喪に服すマーキュリーの売り子たち、この上なく惜しまれるエドワード・ジョーンズの死、かの有名なサヴォイのガゼット印刷者への挽歌(The Mercury Hawkers in Mourning; an Elegy on the much-lamented Death of Edward Jones, the famous Gazette-printer of the Savoy)』が出されたことをつけ加えている。31 とりわけニコルズの興味をそそった人物は、『アシーニアン・マーキュリー(Athenian Mercury)』と『アシーニアン・ガゼット、または詭弁家のマーキュリー(Athenian Gazette, or Casuistical Mercury)』の印刷者、ジョン・ダントン(John Dunton, 1659-1732)だった。32 1818年には息子のジョン・ボウヤー・ニコルズ(John Bowyer Nichols, 1779-1863)が手がけた『ロンドン市民ジョン・ダントンの生涯と過ち:同時期を過ごした千人を超える聖賢およびその他文豪たちの暮らしや人柄とともに(The Life and Errors of John Dunton, Citizen of London; with the lives and characters of more than a thousand contemporary divines and other persons of literary eminence)』の編集を手伝っている。33 この時、ボードリアン図書館でダントンの文書を書き写したフィリップ・ブリス(Philip Bliss, 1787-1857)にも助けられた。34 ニコルズは、ダントンについて「とんだ変わり者で、とても正気とは思えない」35 と記したうえで、ブリスによる文書の抜粋に大満足し、作品は「おかげで、このうえなく完全で満足のいくものになった。原本の文書が今後永遠に封印されたとしても不足はないほどだ」と述べている。36
『ロンドン・ガセット』紙(1703年4月29日)とエドワード・ジョーンズの名前(裏面下より)
London Gazette, 29 Apr. 1703. Seventeenth and Eighteenth Century Nichols Newspapers Collection
『アシーニアン・マーキュリー』紙(1692年12月13日)とジョン・ダントンの名前(裏面下より)
Athenian Mercury, 13 Dec. 1692. Seventeenth and Eighteenth Century Nichols Newspapers Collection
『ロンドン市民ジョン・ダントンの生涯と過ち』第1巻(1818)
Dunton, John. The life and errors of John Dunton, citizen of London; with the lives and characters of more than a thousand contemporary divines, and other persons of literary eminence. Vol. 1, Printed by J. Nichols, son, and Bentley, 1818. The Making of the Modern World
ニコルズと同時代の新聞
新聞はジョン・ニコルズの日常生活の一部だった。ロンドンを離れているときでも、彼の元に届けられる事業関係の書簡や書類の小包に新聞が含まれていたほどである。1800年10月18日には、ドーセット州ブランドフォードのリチャード・パルトニー(Richard Pultney)博士宅に『ジェネラル・イブニング・ポスト』が届けられるよう依頼しており、37 1801年にはレスターシャー州ストートン・ハロルドのフェラーズ伯爵(Earl Ferrers)の元に『セント・ジェームズ・クロニクル』が送られている。38 フランスとの戦争が続いていた時代においてニュースを追い続けることは重要だった。1808年9月にニコルズはポルトガルからのニュースを求めて “うずうず” し、翌朝から『ジェネラル・イブニング・ポスト』を読みたくて待ちきれずにいた。39 1815年6月、ワーテルローの戦いに先立つ緊迫した日々にヘースティングスにいたニコルズは街の図書館で『モーニング・ポスト(Morning Post)』、『スター(Star)』、『パイロット(Pilot)』を “奪い合った” という。40 日刊紙は『ジェントルマンズ・マガジン』に材料を提供してくれる存在でもあった。1818年9月にはジェームズ・ビンドリー(James Bindley, 1737-1818)についてすでに書き上がっていた論説原稿に『タイムズ』と『ジェネラル・イブニング・ポスト』による2つの記事の内容を取り込んでいる。41 ニコルズは、義弟のエドワード・ベントリー(Edward Bentley, 1753-1838)と、友人で『マンスリー・レビュー(Monthly Review)』を出版していたラルフ・グリフィス(Ralph Griffiths, 1720-1803)とともに、『ジェネラル・イブニング・ポスト』の共同所有者でもあった。自らの著作の宣伝に活用するだけでなく、共同所有者とも個人的な交流を深めており、自身とグリフィスは「異彩を放つ男性数人と夕刊紙でパートナー関係にあり、16、7年ほど続けて年に少なくとも8回から10回は食事をともにした」と記録している。42
火災、盗難、売却
『ジェネラル・イブニング・ポスト』はまた、1808年2月8日にニコルズの事業所を襲った火災について最初に報じた1紙だった。43 1805年にニコルズはイズリントンに引越し、印刷所に隣接する家屋は息子のジョン・ボウヤーに譲渡していた。火災が起きた夜、ジョン・ボウヤーは父とともにイズリントンにおり、通報したのは印刷所で遅くまで仕事をしていた植字工だった。44 この火災は壊滅的で、印刷所と倉庫を破壊してしまった。ニコルズは、「出版してきた私自身と他者の著作をすべて失ってしまった」と友人に語っている。45 奇跡的に住居部分は難を逃れており、屋根裏部屋に保管されていたニコルズの新聞とウィリアム・ボウヤーから受け継いだ台帳は無事だった。ニコルズは、「私の古い新聞の膨大なコレクションは、完全にではないにしても、ほぼ助かったと思う」とリチャード・ゴフ(Richard Gough, 1735-1809)に語っている。46
ニコルズ家の火災について(『ジェントルマンズ・マガジン』1808年2月1日)
J. N. "Dreadful Fire in Red Lion Passage." The Gentleman's Magazine, vol. 78, 1 Feb. 1808, pp. 99+. American Historical Periodicals from the American Antiquarian Society
この知らせを聞いて誰よりも喜んだのが、収集家仲間のチャールズ・バーニー(Charles Burney, 1757-1817)であった。「大変な損失でしたが、貴殿の新聞と個人的な蔵書が助かったことは喜びに値します。土曜日にお会いしませんか?これからも貴殿がいつも引き起こしてくださる笑い声が絶えないように、心身ともに健康であることを願います」と書き送っている。47
ところがさらなる災難が待ち受けていた。後になってニコルズは、焼失を逃れた後に新聞の大半が「倉庫の管理をほとんど任せていた不誠実な使用人に盗まれてしまい、その後見つかることはなかった。恐らく、遠く離れたところにあるチーズ屋にでも古紙として引き渡されたのだろう」と説明している。48 この一件によってニコルズの新聞に対する興味がどの程度そがれたのかについてはなんとも言えないが、1812年にはコレクションの将来を再考するようになっていた。レスターシャー州の歴史と『文学逸話集』の最初の6巻が完成に近づいていた頃の5月に、大英博物館の理事会に1640年までさかのぼる “一大新聞コレクション(Copious Collection of Newspapers)” を500ポンドで売却すると申し出ている。49 理事会はニコルズの所蔵を確認すべく、司書補のヘンリー・ハービー・バーバー(Henry Hervey Baber, 1775-1869)を訪問させた。
バーバーは、盗難に遭ったとはいえ、ニコルズの新聞コレクションがいまだ幅広いものであることを知る。1640年から1660年までが5巻、1660年から1679年までが2巻、1679年から1700年までの “大冊(bulky volumes)” が11巻もあった。特に1811年までのコレクションは「非常に完全」で、「ほとんどが、すでに大英博物館に寄託されているものとは異なるタイトル」であるとしている。彼が記したところによると、最初の7巻はロシア革による半革装丁、続く96巻は板表紙、残りのうち86巻は半革装丁で39巻分は束ねて縛られていた。50
博物館の既蔵分を補完したいと考えた理事会は『ロンドン・ガゼット』の購入を申し出たが、ニコルズはコレクションを分割しない判断をした。51 1826年のニコルズの死去を受けて、1828年にサザビーズで売りに出される前に娘たちが蔵書目録を準備している。その中心は地誌学関連のコレクションだったが、『ブリティッシュ・クリティック(British Critic)』65巻、『マンスリー・レビュー』の旧シリーズ81巻、新シリーズ96巻、『アニュアル・レジスター(Annual Register)』41巻、『ヒストリカル・レジスター(Historical Register)』25巻も含まれている。52 恐らく、ジョン・ボウヤー・ニコルズは1827年に、姉妹から父のマニュスクリプトを100ポンドで買い取った後、残りを買い足したのであろう。53 1831年7月に彼もまた、新聞について “さらに話し合う” ためにバーバーを招いている54 が、その後33年間、それら新聞はニコルズ一族の所蔵であり続けた。1834年には、ニコルズの孫であるジョン・ゴフ・ニコルズ(John Gough Nichols, 1806-1873)が、ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(William Henry Fox Talbot)のためにイングランド内戦中のレイコックに関する記述を調べている。55
その後の売却とボドリアン図書館による取得
ジョン・ニコルズの新聞が初めて売りに出されたのは、ジョン・ボウヤー・ニコルズの蔵書の一部がサザビーズで売却された1864年5月24日のことだった。56 ロット1042から1057には、『ロンドン・ガゼット』、『アシーニアン・ガゼット、または詭弁家のマーキュリー』、『ポスト・マン』、『デイリー・クーラント』、『トゥルー・ブリトン(The True Briton)』、『コモン・センス(Common Sense)』、『ウィークリー・ミセラニー(The Weekly Miscellany)』、『ロンドン・イブニング・ポスト』に加え、『ロンドン・クロニクル、またはユニバーサル・イブニング・ポスト(The London Chronicle or Universal Evening Post)』103巻が含まれていた。また、1761年ごろからの『ホワイトホール・イブニング・ポスト(Whitehall Evening Post)』の端物、ジョン・ウィルクスと彼の選挙に関連する資料、『クラフツマン、またはセイズ・ウィークリー・ジャーナル(The Craftsman or Say’s Weekly Journal)』、『パブリック・アドバタイザー(Public Advertiser)』、『ロイズ・イブニング・ポスト&ブリティッシュ・クロニクル(Lloyd’s Evening Post and British Chronicle)』、『オラクル、またはベルズ・ニュー・ワールド(The Oracle or Bell’s New World)』、『デイリー・アドバタイザー&オラクル(Daily Advertiser and Oracle)』と『ジェネラル・イブニング・ポスト(General Evening Post)』への名称変更分も含む『トゥルー・ブリトン』が1808年12月に至るまで47巻にのぼる。ほかにも、『トマホーク、またはセンサー・ジェネラル(The Tomahawk, or Censor General)』、『ドレーカーズ・スタンフォード・ペーパー(Drakard’s Stamford Paper)』、 『チャンピオン(The Champion)』、『ベルズ・ウィークリー・メッセンジャー(Bell’s Weekly Messenger)』に加え、(ジョン・ボウヤーが父の没後にコレクションに加えたと考えられる)1820年から1840年の間にセオドア・フックが編集した『ジョン・ブル(John Bull)』があった。また、1864年12月の第2部で売りに出されたロット262には、「その多くが珍しく、興味深い8巻に及ぶ、1640年から1664年の間に印刷された昔の各種新聞」が含まれていた。57
1864年のサザビーズによるニコルズ蔵書の競売公告(『デイリー・ニュース』1864年5月20日)
"Advertisements & Notices." Daily News, 20 May 1864. British Library Newspapers
『トゥルー・ブリトン』紙(1723年7月10日)
True Briton, 10 June 1723, p. 1. Seventeenth and Eighteenth Century Nichols Newspapers Collection
『ウィークリー・ミセラニー』紙(1732年12月30日)
Weekly Miscellany, 30 Dec. 1732. Seventeenth and Eighteenth Century Nichols Newspapers Collection
ジョン・ニコルズの新聞の多くは、この2度の競売で売却されたが、1865年3月4日には、ジョン・ボウヤーの遺言執行人がさらに1672年から1737年までの95巻をボードリアン図書館に200ポンドで売却している。同図書館は、1874年12月、ジョン・ゴフ・ニコルズの蔵書がサザビーズで売りに出された際にコレクションの一覧表を購入した。58 これは、コレクションと1800年以降の富の変遷に関する重要な情報を提供してくれるものである。例えば、1735年10月から1736年4月までを収めた第90巻は「1808年2月にニコルズ邸で発生した火災によって不運にも焼失してしまった」旨、また、「第14巻は紛失しており、1864年6月、(ジョン・ボウヤー)ニコルズ氏がイーリング、ハンガー・ヒルからパーラメント・ストリートにコレクションを移動したことによるものと考えられる」旨がわかる。1864年5月24日に売却された95巻もリストアップされており、このうち、1789年から1808年の『オラクル』47巻はボードリアン図書館によって取得されていないとの追記があることから、同図書館が最初に売却されたコレクションの一部を後になって取得したものと推察される。
結 論
パトリック・ステューダー(Patrick Studer)によると、ボードリアン図書館は、かつてF・W・ホープ(F. W. Hope)師から寄贈された父親のコレクション、18世紀の定期刊行物1300巻を補足する目的でニコルズの新聞を1865年に購入した。59 現在、同図書館が所蔵する19世紀以前の新聞の大部分を占めているのが、この2つのコレクションである。296巻から成るニコルズ新聞コレクションは、幅広いトピックに関する研究資料の豊かな宝庫として機能し続けている。チャールズ2世の治世からウォルポールの時代まで、イギリス激動の政治史を研究する者にとっての価値は長きにわたり認識されてきた。イギリスにおける商品の価格から戴冠式の音楽に至るまで、また、広告の歴史から定期刊行物の台頭に至るまで、幅広い研究に情報を提供してきたのである。60 ジョン・ニコルズが2世紀前に文学的伝記と郷土史のために活用していたものが、今日、15万ページを超える活字テクストから成る、検索可能なデジタル形式のコレクションとして利用可能になったことで、この網羅的な一次資料の可能性の扉を開ける機会が新世代の学者に提供されるはこびとなった。
ボードリアン図書館所蔵 ニコルズ収集 17世紀~18世紀 英国新聞コレクションのホーム画面
謝辞
個人蔵ニコルズ文書コレクションの所有者の皆様、日頃から、私の研究に関心を抱き、ご支援いただき感謝しております。また、草稿を読んでくださったロビン・マイヤーズ大英帝国五等勲爵士にも感謝申し上げます。
参考文献一覧
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脚注:
1 ジョン・ニコルズについての有用な伝記資料については Albert H. Smith, ‘John Nichols, Printer and Publisher’ The Library Fifth Series 18.3 (September 1963), pp. 169–190、James M. Kuist, The Works of John Nichols. An Introduction (New York, 1968)、Alan Broadfield, ‘John Nichols as Historian and Friend. Suum Cuique’ (未出版, 1974–1983)、および Julian Pooley and Robin Myers, ‘The Nichols Family (1745–1873)’ The Oxford Dictionary of National Biography (Oxford, 2004–継続中) オンライン版は www.oxforddnb.com [2016年8月2日アクセス, 以下ODNB] を参照。
2 ジョン・ニコルズの Anecdotes of Mr Hogarth (London, 1780) 初版はアイザック・リードとジョージ・スティーブンズの助けを借りながら、The Works of William Hogarth from the Original Plates restored by James Heath RA to which is prefixed a biographical essay on the genius and productions of Hogarth and explanations on the subjects of the plates (London, 1822) へと増補改訂された。スウィフト研究へのニコルズの貢献については Daniel Cook, ‘Labor ipse voluptas: John Nichols’ Swiftiana’ in Matthew Day (ed.) (Delaware and London, 2012), pp. 43–60 を参照。
3 Keith Maslen and John Lancaster, The Bowyer Ledgers (London, 1991).
4 Samuel Johnson, The Lives of the Most Eminent Poets; with Critical Observations on Their Works, ed. Roger Lonsdale, 4 vols (Oxford, 2006) および J. Pooley ‘Conciliating His Esteem: John Nichols’ Contribution to Johnson’s Lives of the Poets, to Biographies of Johnson and to later Johnsonian Scholarship’. The Age of Johnson 21 (2011): p. 143–192.
5 Edward L. Hart, (ed.) Minor Lives. A Collection of Biographies by John Nichols (Cambridge, Massachusetts, 1971), p. xviii.
6 John Nichols, Literary Anecdotes of the Eighteenth Century 9 vols (London, 1812–1815) および Illustrations of the Literary History of the Eighteenth Century 8 vols (London, 1817–1858), [以下それぞれ Literary Anecdotes および Literary Illustrations].
7 Michael J. Suarez と Henry Woodhuysen は The Book: A Global History (Oxford, 2013) p. 21 において、17世紀後半以降の新聞がコーヒーハウスなどの公共の場に集積していく傾向にあったことについて言及している。
8 Markman Ellis, ‘Coffee-House Libraries in Mid-Eighteenth-Century London’ The Library, Seventh Series 10.1 (March 2009), p. 13 および R. Rabicoff and D. J. McKitterick ‘John Nichols, William Bowyer and Cambridge University Press in 1765’, Transactions of the Cambridge Bibliographical Society 6 (1976) pp. 328–338 を参照。
9 これらの新聞には The Court Magazine, Universal Museum, St James’s Chronicle, Public Ledger, The Public Advertiser, Christian Magazine, London Magazine, The Court, City and County Magazine, Whitehall Evening Post, Gentleman’s Diary などがある。
10 ニコルズは John Hawkesworth 編 The Works of Jonathan Swift 25 vols (London, 1755–1775) の第13巻および第14巻の編集においてボウヤーを助けた。
11 Gentleman’s Magazine vol. 1 (1731), Introduction.
12 Gentleman’s Magazine vol. 35 (1765) p. 335, ‘Spring’. John Nichols writing as ‘J.N.’
13 Gentleman’s Magazine vol. 48 (1778) pp. 312–313, ‘Genuine Fragments of our best Poets’. John Nichols writing as ‘Eugenio’
14 Bodleian Library, Nichols Newspaper Collection, 24C, 19 Oct–30 Dec 1714.
15 Literary Anecdotes vol. 9 (1815) p. 464.
16 John Nichols, Brief Memoirs of John Nichols with a List of his Publications (1804) p. 4.
17 British Library, S. C. Sotheby(1) 6 Mar 1786 to 22 Mar 1787.
18 ニコルズによる自身についての記述は Sir Samuel Egerton Brydges による投書で引用されている Gentleman’s Magazine Dec. 1823 pp. 484–85。Bodleian MS. Eng. b. 2071 fols. 45–47 も参照。
19 John Nichols, The History and Antiquities of the County of Leicester 4 vols in 8 parts (London, 1795–1815), [以下 History of Leicestershire].
20 History of Leicestershire vol. 2 part 1 pp. 115–118, citing the London Gazette for 25 Nov 1682, 8 Oct 1683, 1 May, 20 Nov, 24 Nov and 1 Dec 1684, 5 Mar, 11 May, 18 May and 1 Oct 1685; the London Mercury 15 Dec 1688 and London Courant 15 Dec 1688
21 Sir Joseph Banks to John Nichols, 19 July 1795, Literary Illustrations vol. 5 p. 698, NAD11010
22 Samuel Pipe Wolferstan to John Nichols, 24 Dec 1806, The Record Office for Leicester, Leicestershire and Rutland Temp 196, NAD5246.
23 James Peller Malcolm, Londinium Redivivam, or an Ancient History and Modern Description of London (1803–1807). James Peller Malcolm to John Nichols, c. 1807, Bodl. MS. Eng. lett. c. 358 fo. 19, NAD15251 and 13 Feb 1808, Bodleian MS. Eng. lett. c. 372 fo. 148, NAD8572 参照。
24 Literary Anecdotes vol. 4 (1812), pp. 33–97.
25 Literary Anecdotes vol. 4 (1812), p. 111
26 Literary Anecdotes vol. 8 (1814), pp. 495–9.
27 Literary Anecdotes vol. 4 (1812), p. 47.
28 Literary Anecdotes vol. 4 (1812), p. 54
29 Literary Anecdotes vol. 4 (1812), pp. 54–8.
30 Literary Anecdotes vol. 8 (1814), p. 494.
31 Literary Anecdotes vol. 4 (1812), p. 81.
32 Literary Anecdotes vol. 5 (1812) pp. 59–83.
33 Hart, Minor Lives 197–220 および Helen Berry, ‘John Dunton’ ODNB も参照。
34 4 John Nichols to Philip Bliss, 18 Jul 1817, British Library Add. MS. 34568 fos 133–4, NAD13787; Philip Bliss to John Nichols, 1 Aug 1817, Yale University Library, Osborne MS 154: Nichols Family Correspondence Box 2, NAD479 and Philip Bliss to John Nichols, 19 Aug 1817, Yale University Library Osborne MS 154: Nichols Family Correspondence Box 2, NAD4799. 私がジョン・ニコルズとその一家の1745年から1873年までの文書についての解題を作成するために使用しているニコルズ・アーカイブ・データベースには2種類のレファレンス番号が付されている。ひとつは手稿を保管する機関の請求番号で、もうひとつはNADで始まるデータベース内の全項目に振られた固有番号である。ニコルズ・アーカイブ・プロジェクトについての詳細は http://www2.le.ac.uk/centres/elh/research/project/nichols/the-nichols-archive-project を参照。
35 John Nichols to Philip Bliss, 12 Aug 1817, British Library Add. MS. 34568 fos 220–1, NAD13791
36 6 John Nichols to Philip Bliss, 23 Aug 1817, British Library Add. MS. 34568 fos 135–6, NAD13788. ニコルズによる自筆注釈を含むDunton’s Life and Errors は1864年のジョン・ボウヤー・ニコルズ蔵書売却時に売られ現在は個人蔵。それは Rev Dr E. Berwick によって挿入されたGentleman’s Magazine からのメモや評論、ジョン・ニコルズによる注釈、ダントンの生涯についての追加情報を含むジョン・ボウヤー・ニコルズによる注釈を含む。PC1/Library/ C2, NAD12388.
37 John Nichols to John Bowyer Nichols, 18 Oct 1800, Private Collection 4, PC4/2/fo. 47, NAD3651.
38 John Nichols to John Bowyer Nichols, 14 Jul 1801, Private Collection 2, PC2/2/fo. 172, NAD7614
39 John Nichols to John Bowyer Nichols, 17 Sep 1808, Private Collection 4 PC4/1/fo. 46, NAD2097
40 John Nichols to John Bowyer Nichols, 14 Jun 1815, Private Collection 4 PC4/3/fos 326–7, NAD5100.
41 John Nichols to John Bowyer Nichols, 17 Sep 1818, Private Collection 2 PC2/3/fo. 61, NAD2793.
42 Martha Sadelbia Nichols to Miss Nichols, 14 Jun 1814, Private Collection 4 PC4/3/fos 172–3, NAD5001; Literary Anecdotes vol. 9 (1815) p. 665 and Michael Harris, London Newspapers in the Age of Walpole (London, 1987), p. 75.
43 General Evening Post 11 Feb 1808.
44 4 Henry Dench to John Nichols, Mar 1808, Bodleian. MS. Eng. lett. c. 372 fos 73–6, NAD8519.
45 5 John Nichols to James Bindley, 12 Feb 1808, Bodleian MS. Eng. lett. c. 372 fos 30–31, NAD271.
46 6 John Nichols to Richard Gough, Feb 1808, Bodleian MS. Eng. lett. c. 372 fo. 106, NAD8545.
47 Charles Burney junior to John Nichols, 17 Mar 1808, Bodleian MS. Eng. lett. c. 372 fo. 58, NAD8021.
48 やれ紙の盗難は常にニコルズを悩ませていた問題だった。この盗難についてニコルズ家が法的手段に出た記録はないが、後の1822年にニコルズの従業員ジェイムズ・サッチャーが印刷済みの紙40帖20シリング相当、別の印刷済みの紙100帖50シリング相当、やれ紙200帖4ポンド相当を盗んだ際には起訴されている。Old Bailey Online: http://www.oldbaileyonline.org/browse. jsp?id=t18220220-91-victim951&div=t18220220-91#highlight [2016年7月8日アクセス].
49 British Museum, Trustees’ Minutes, 9 May 1812 and Officers’ Reports, 1812 p. 441.
50 British Museum Officers’ Report, 11 Jul 1812 pp. 466 and 469.
51 British Museum Trustees Minutes, 11 July 1812.
52 Private Collection 1, John Nichols’ Library Catalogue, 1826–1828, NAD8851.
53 John Bowyer Nichols to Sarah Nichols, 18 Oct 1827, Bodleian MS. Eng. Lett. c. 6165/1/fo.20, NAD6647
54 Henry Baber to John Bowyer Nichols, 26 Jul 1831, Private Collection 1, PC1/41/3, NAD5725.
55 John Gough Nichols to Sir William Henry Fox Talbot, 19 Dec 1834, British Library LA34–049, Talbot Corres-pondence Project 3024, NAD11904.
56 The First Portion of the Very Important, Extensive and Valuable Library of the Late John Bowyer Nichols, 24 May 1864.
57 The Concluding Portion of the Library of the late John Bowyer Nichols, 19 Dec 1864
58 The Extensive and Valuable Library of the Late John Gough Nichols, 4 Dec 1874, lot 1424, sold to Wilson for 1s. It is now Bodl. MS. Eng. misc. c. 138 NAD15527. このリストはジョン・ボウヤー・ニコルズによって父の死後、新聞を相続した直後に作られたと考えられる。その理由は用紙の透かしが1829年と1830年のもので、注釈の多くがジョン・ボウヤー・ニコルズの肉筆によるものだからである。
59 Patrick Studer, Historical Corpus Stylistics. Technology and Change (London, 2014).
60 Jacob M. Price, ‘Notes on Some London Price Currents, 1667–1715’, Economic History Review 2nd series, 7 (Dec 1954), pp. 242–3、Mattias Range, Music and Ceremonial at British Coronations. From James I to Elizabeth II (Cambridge, 2012)、James E. Bradley and Richard A. Muller, Church History: An Introduction to Research Methods and Resources (Cambridge, 2016)、R. M. Wiles, Serial Publication in England Before 1750 (Cambridge, 1957) を参照。
無断転載を固く禁じます。
引用書式の例:プーリー、ジュリアン(センゲージラーニング株式会社 訳)「ボードリアン図書館所蔵ニコルズ新聞コレクションについて」 Seventeenth and Eighteenth Century Nichols Newspapers Collection. Cengage Learning KK. 2023