Democracy in Turkey, 1950-1959: Records of the U.S. State Department Classified Files
本コレクションは、1950年から1959年までのトルコの実情を米国国務省機密文書から探るものです。米国国務省機密文書は、20世紀世界各国の政治、軍事、社会、経済を米国外交当局から分析、報告した資料集です。トルコ初の自由選挙により首相に就任したアドナン・メンデレスが首相として政権を運営した約10年間のトルコの政治・外交・経済・財政・社会の諸相が、トルコ駐在米国大使館、領事館の眼を通して浮かびあがってきます。
(関連資料: オスマン帝国・トルコ関係 米国務省文書集1802-1949年 および トルコ・ギリシア・バルカン諸国関係 米国務省文書集 1930-1944年 も合わせてご検討ください。)
1920年代以降の支配階層が普及に努めたトルコ社会の公式イメージは、相対的な同質性です。このイメージは共和国の一連の憲法の中に明文化されてきました。曰く、トルコは固有の領土と国民を有する不可分の国である、と。しかし現実には、トルコは多様で、時に相争う民族・言語集団同士が織りなすモザイクの国です。ケマル・アタチュルクの世俗化政策は、西欧志向で世俗的なエリート文化と伝統的宗教価値を根底にもつ大衆文化という二つの文化を創出することになりました。1950年以前、エリート階層の伝統文化への態度には侮蔑的で、表だって宗教を表現する行為には敵対する傾向がありました。しかし1950年以後になると、エリート階層の態度に変化が現われ、宗教、とりわけイスラームの正統スンニ派に対して寛容さを示すようになり、アタチュルクの制度的世俗主義の枠内において、様々な政党が宗教的利害を調和しようと試みました。戦後の自由主義の中で、政党政治は政治的不安定をもたらすと同時に、民主主義を育成します。1950年代、アドナン・メンデレス率いる民主党政府が権威主義的傾向を高め、インフレと債務増加で経済が悪化すると、主要政党間の緊張が高まりました。
現在、トルコ共和国は中東地域の一翼を担う大国に成長しました。グローバルな自由主義体制の中での経済開発を追求し、オスマントルコの遺産である統治術をもって国内の政治危機を克服し、外国からの同盟的支援を確保する外交政策を展開しています。トルコの政治指導者は西欧並びに他の先進諸国との協力関係を維持し、自由な選挙で選ばれた議会を最高意思決定機関とする世俗的なイスラーム国家を国是として掲げています。
(マイクロ版タイトル:Records of the Department of State Relating to Internal Affairs Turkey 1950-1954, 1955-1959)
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