フォード政権と人権・公民権
フォード政権と人権・公民権
Ford Administration and Human Rights
本コレクションはフォード政権期の人権に関する文書を提供するものです。
1960年代の一連の公民権法案を支持するなど、下院議員時代に人種差別撤廃に積極的な姿勢を示していたジェラルド・フォードは大統領時代の1975年に、ヒスパニック系アメリカ人、アジア系アメリカ人、先住民等、英語が不自由な市民が投票機会を奪われるのを防止するために、英語以外の言語による選挙関係資料の提供を義務付ける条項を盛り込む1965年投票権法修正を実現させました。
また政権の要職に運輸長官ウィリアム・コールマン(William T. Coleman)、大統領特別補佐官ジョン・キャルホーン(John Calhoun)、都市問題大統領次席補佐官アーサー・フレッチャー(Arthur Fletcher)、住宅都市開発省消費者問題担当次官補コンスタンス・ニューマン(Constance Newsman)等、アフリカ系アメリカ人を任命することで、アフリカ系アメリカ人の地位向上にも貢献しました。
その一方で、人種統合に向けた政策に対する批判の高まりにも対応を迫られました。1960年代以降、公立学校における人種統合を実現するために、通学区域の見直しを実施した結果、長距離通学の生徒にはスクールバスによる送迎を行なう強制バス通学(Forced Busing)が実施されていましたが、学校選択の自由を奪うものとして、主として白人から反対の声が上がっていました。フォード政権は人種統合の原則は認めつつも、強制バス通学による人種統合からコミュニティの自主性を尊重した人種統合へ舵を切るべく、地域住民による委員会の設立を求める学校人種統合標準支援法(School Desegregation Standards and Assistance Act)への支持を議会に求めましたが、全米黒人地位向上協会(NAACP)等の人種統合推進派から厳しく批判されました。
外交政策に眼を転じれば、フォード政権はニクソン政権と同様、人権政策では見るべきものはほとんどなく、この点で人権外交を展開した次のカーター政権と好対照をなしています。1948年に国連総会で採択されたジェノサイド条約の批准が議題に上がったものの、批准には至りませんでした。また、1975年の全欧安全保障協力会議で調印され、米国も署名したヘルシンキ宣言は、安全保障、経済・科学技術協力、人権尊重の3分野(バスケット)で構成されていますが、人権尊重を宣言に盛り込んだのは米国ではなく欧州諸国のイニシアチブによるものでした。
本コレクションは、投票権法修正、学校人種統合標準支援法、ジェノサイド条約批准、ヘルシンキ宣言等、フォード政権期の人権関係文書約14,000ページが収録されています。フォード政権内の書簡、政権スタッフが連邦政府省庁、議会、関連団体、個人と交わした書簡で構成されています。公民権推進派だけでなく反対派の主張も含まれ、フォード政権が向き合った人権問題を多角的に研究する上で貴重な文書群です。