第二次印パ紛争関係 米国務省文書集 1963-1966年

第二次印パ紛争関係 米国務省文書集 1963-1966年
India-Pakistan Conflict: Records of the U.S. State Department, February 1963-1966
本コレクションは、ケネディ政権末期の1963年2月からジョンソン政権の1966年までの4年間にわたる米国国務省のインド、パキスタン関係外交文書約15,000ページを収録します。国境紛争後の中印の関係悪化から、パキスタンと中国の接近、第二次印パ紛争の勃発と和平協定調印まで、1960年代半ばのインドとパキスタンの関係、そして南アジアの安全保障関係が米国外交文書を通じて明らかにされます。
1947年8月、インドとパキスタンは英国から分離独立しました。ヒンドゥー教徒が多数を占めるインドとイスラーム教徒が多数を占めるパキスタンは独立時から紛争の火種を抱えていましたが、独立直後の1947年10月、インド、パキスタン、中国に跨るカシミール地方の帰属問題をめぐり、宣戦布告のないまま戦争に突入します(第一次印パ戦争)。1949年1月1日、国連の仲介により休戦が成立、7月18日に締結されたカラチ協定で休戦ラインが設定され、以後国連軍事監視団がカシミール地方の休戦を監視する任務を担います。
インドは初代首相ネルーの下、非同盟主義の雄として、冷戦下にあって東西両陣営のいずれにも属さない独自路線を展開しました。パキスタンは米国との間で相互防衛協定を締結し、米国の反共政策と中東の石油資源確保のための南アジアにおける戦略的拠点と位置付けられていました。しかし、1960年代、インドとパキスタンをめぐる国際情勢は変化します。
1962年、インド北部のラダック地方でインドと中国が軍事衝突(中印国境紛争)、以後この地は中国の占領下に置かれます。中国との関係が悪化したインドはソ連に接近、中印国境紛争の敗北はインド国内でのネルーの権威を低下させます。一方のパキスタンは1963年に中国との間で国境を画定させ、カシミール地方の一部であるトランス・カラコルム地域を中国の管理下に置くことで合意、中国に接近します。そして、1965年にパキスタンのゲリラ部隊が印パ休戦ラインを越境、インドとパキスタンは全面戦争に突入します(第二次印パ紛争)。9月23日、両国は国連安全保障理事会の休戦決議を受けいれ、1966年1月、ソ連の仲介によりインドのシャストリ首相とパキスタンのアイユーブ・カーン大統領がタシケントで和平協定に調印、タシケント宣言では両国軍が戦争前の状態に戻ることが定められました。
戦争を仕掛けたパキスタンでは、軍事的成果を得られなかったことに対する不満が軍部を中心に高まり、カーン政権の権威が失墜します。加えて、相互防衛協定を締結していた米国のジョンソン政権が第二次印パ紛争で中立の立場を表明し、武器援助を停止したことはパキスタンに衝撃を与えました。それまで西側陣営の一員として米国を同盟国としていたパキスタンは外交方針を転換し、米国、中国、ソ連の三大国との関係を同時に模索する綱渡りの安全保障政策を追求することになります。
国務省一般記録群(RG59)は1963年2月に、それまでの十進分類法(Decimal File)から主題・番号分類法(Subject-Numeric Files)へファイリング・システムが変更されました。本コレクションの収録文書は政治(POL)の大分類が与えられた文書群を収録します。
(マイクロ版タイトル:Records of the U.S. State Department: India and Pakistan, Political Affairs and Relations, February 1963-1966)