Japan: Records of the U.S. Department of State Relating to Political Relations, 1930-1939
本コレクョンは米国国務省セントラル・ファイル十進分類法「711.94」の日米政治関係文書より、1930年から1939年までの文書を収録します。
1931年に満州事変が発生すると、アメリカ政府は当初静観していたものの、日本の軍事行動が拡大するに伴い、スティムソン国務長官をはじめ国務省内から対日強硬論が浮上しました。しかし、フーヴァー大統領やイギリスの同調を得られず、「スティムソン・ノート」という形で日本の軍事行動を承認しないという消極的な姿勢を表明する以上の行動には出ませんでした。その後、満州国建国後の国際連盟の現地調査とそれに基づく連盟勧告案に反対の立場を表明した日本は国際連盟を脱退し、孤立の傾向を深めます。
その間、アメリカではルーズベルトが大統領に、コーデル・ハルが国務長官に就任、新しい政権の陣容が敷かれる中で、日本の外交当局にも対米関係の改善を模索する動きが出ますが、海軍軍縮をめぐり、両国の対立が表面化、日本は1935年にワシントン軍縮条約の廃棄を決定し、ここに1920年代以来の海軍軍縮条約体制が崩壊しました。
1937年に勃発した日中戦争は日米の対立を決定的にしました。中国において排外的な経済圏を確立しようとする日本の政策と門戸開放と機会均等を原則とするアメリカの対中政策の対立が明確になると、対日経済制裁の実施が国務省で検討され、1939年には対日クレジットと借款供与の禁止措置、日米通商航海条約の廃棄通告が行われるにいたります。
本コレクションは国務省、とりわけ極東部の対日外交政策に関する文書群を収録します。国務省、あるいは極東部は駐日大使館に訓令を出し、また駐日大使館から報告を受けます。そして、日本の外交当局と交渉を行ないます。本コレクションには、国務省内部で交換された文書群、国務省が駐日大使館や日本の外交当局との間で交換した書簡群を収録し、対日政策が決定されるまでのプロセスを克明に記録します。
1930年代の国務長官はヘンリー・スティムソンとコーデル・ハル、極東部長はスタンリー・ホーンベック、マクスウェル・ハミルトンが歴任しました。駐日大使は大半の期間をジョセフ・グルーが務めました。本コレクションに収録される文書の多くは、これらの人を中心とする国務省の役人や駐日大使館員を差出人や名宛人とするものです。これらの人々の中には対日強硬派もいれば、穏健派もいて、対日政策を巡っては様々な意見が存在したこと、また、1930年代の日米関係が必ずしも、開戦に向かって悪化の一途を辿ったわけではないことが、収録資料を通して浮かびあがってきます。
※1940-1944年編, 1945-1949年編, 1950-1959年編も合わせてご検討ください。
(マイクロ版タイトル:Records of the Department of State Relating to Political Relations between the United States and Japan, 1930-1939)
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