パキスタン関係 米国務省文書集 1945-1949年

パキスタン関係 米国務省文書集 1945-1949年
Pakistan from Crown Rule to Republic: Records of the U.S. Department of State, 1945-1949
本コレクションは米国国立公文書館が所蔵する国務省一般記録群(RG59)のセントラル・ファイルの中から、1947年7月から1949年12月までの現バングラデシュを含む東西パキスタンに関する米国国務省外交文書約6,000ページを提供するものです。収録文書は、独立から第一次印パ戦争を経て1949年までのパキスタンの政治・軍事・社会・経済事情を米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わした往復書簡を通して明らかにします。文書の多くはカラチやラホールの在外公館からのものですが、ニューデリー、コルカタ、ムンバイ、アンカラ、カブール、テヘラン、カイロ等、パキスタン国外の米国大使館から送られた情報も収録されているため、米国・パキスタン関係に止まらず、パキスタンをめぐる国際情勢が浮き彫りになります。
インド独立運動では、ガンジー率いるインド国民会議派とジンナー率いるムスリム連盟の間で独立後の国家体制をめぐり、深刻な対立が存在し、最後まで両派の溝を埋められることなく、インドとパキスタンが分離する形で独立が果たされました。1947年8月の独立後、両国は悲劇に襲われます。
両国の独立は国境線が未確定な状態での極めて異例なものでした。国境線の画定に際して、特定の宗派に肩入れしているとの非難を恐れたイギリス政府は、インドの宗教や文化については全くの素人で、インドを訪問したことすらない法律家のシリル・ラドクリフを国境委員会の委員長に任命します。国境委員会がヒンドゥー教徒やイスラーム教徒の居住状況を無視して「中立的」立場から引いた国境線(ラドクリフライン)が発表されると、パキスタン領内のヒンドゥー教徒とシーク教徒はインドに逃れ、インド領内のイスラーム教徒はインドからパキスタンに逃れるという形で、現代史で類例のない規模の大量の移民難民が発生します。
インドとパキスタンの国境地帯に位置するカシミール地方は両国の紛争の火種となります。イスラーム教徒が多数を占めていたにも関わらず、ヒンドゥー教徒の藩王がインドへの帰属を望んだためインド領となったカシミール地方では、1947年10月にパキスタン領から武装義勇兵が侵攻し、自由カシミール政府の樹立を宣言します。インド政府も軍を派遣したため、両国は交戦状態に入ります(第一次印パ戦争)。1949年1月に国連の調停の下で停戦が実現し、停戦ラインが国境線と定められますが、以後もカシミールでは両国間で度重なる紛争が発生しました。
本コレクションは国境委員会裁定に対する反応、東パキスタン(現バングラデシュ)から西ベンガルへの難民流入、第一次印パ戦争の他、米国とパキスタンの貿易、パキスタンへの直接投資、鉱物資源開発、森林開発、パキスタン赤十字社の活動、パキスタン政府からGHQへの日本代表部設立要請、パキスタン軍による米軍士官に対する陸軍士官学校来訪要請等々、独立直後のパキスタンの政治・軍事・社会・経済事情を米国外交文書を通して明らかにします。