Records of the Department of State Relating to Political Relations Between the United States and Costa Rica, 1945-1959
本コレクションは米国国立公文書館が所蔵する国務省一般記録群(RG59)の中から、米国国務省の米国とコスタリカの政治関係に関する外交文書約1,000ページを収録するものです。収録文書は米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わした往復書簡です。
コスタリカでは1940年にラファエル・カルデロン(Rafael Calderón)が大統領に就任し、労働者の保護を始めとするポピュリスト的政策を推進し、人民前衛党(共産党)とも協力関係を構築しました。伝統的な保守勢力はこれを警戒したものの、第二次大戦中は対立が表面化することはありませんでした。
しかし、戦争が終わると対立が表面化します。1948年に実施された大統領選挙では与党に支援されたカルデロンが野党の支援するオティリオ・ウラテ(Otilio Ulate Blanco)に敗れますが、カルデロン支持者は選挙に不正があったと主張、両派の間で激しい対立が発生し、コスタリカは内戦に突入します。この機に乗じて、反政府運動の指導者ホセ・フィゲーレス・フェレール(José Figueres Ferrer)が武装蜂起します。カリブ軍団(La Legion del Caribe)の支援を受けたフィゲーレスは国軍との戦いに勝利を収め、内戦を収束させ、統治評議会を創設しました。
統治評議会が制定した新憲法では、銀行の国有化、女性参政権、国軍の廃止が規定されました。新憲法制定後、フィゲーレスはウラテに権限を委譲し、ウラテが大統領に就任します(1949-1953)。1953年の大統領選挙ではフィゲーレスが勝利を収め、大統領に就任します(1953-1958)。民主主義の広告塔としてコスタリカの民主主義に信頼を寄せる米国は、内戦の勃発から収束までの一連の過程において介入することなく、静観の立場を貫きました。
1954年、隣国ニカラグアに亡命していたカルデロンが同国の独裁者ソモサ(Anastasio Somoza García)の支援を受け、コスタリカに侵攻する事態が発生します。この事態を受け、コスタリカは米州機構に提訴します。米州機構理事会の承認の下、米国はコスタリカへの武器売却を行なう一方で、外交的圧力をかけてニカラグア軍のコスタリカからの撤退を実現させました。
米国国務省の外交文書を通じて第二次大戦後の米国と中南米有数の民主主義国家コスタリカの関係を浮き彫りにするコレクションです。
(マイクロ版タイトル:Records of the Department of State Relating to Political Relations Between the United States and Costa Rica, 1945-1959)
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関連分野
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- 政治学・外交研究