Records of the Department of State Relating to Political Relations Between the United States and Panama, 1950-1959
本コレクションは米国国立公文書館が所蔵する国務省一般記録群(RG59)の中から、米国国務省の米国とパナマの政治関係に関する外交文書約6,000ページを収録するものです。収録文書は米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わした往復書簡です。
20世紀の米国とパナマの関係において大きな争点となったのはパナマ運河の法的地位です。1903年にパナマはコロンビアから独立を達成しますが、同年米国との間で締結されたパナマ運河条約(ヘイ=ビュノーバリヤ条約)では米国が運河の独占的管理権と運河地帯の地政権を有すると規定され、パナマ運河は米国の主権下に置かれることになりました。以後、運河条約を改訂し、運河に対する主権を取り戻すことがパナマの大きな政治課題となります。
1952年、ホセ・アントニオ・レモン・カンテラ(José Antonio Remón Cantera)は大統領に就任すると、運河条約の改訂に取り組みます。その結果、米国がパナマに払う年賦金の増額、運河で働くパナマ人労働者の待遇改善、パナマ政府によるパナマ人労働者への課税権の承認等を内容とする条約がアイゼンハワー政権との間で締結されました。しかし、この条約は米国が依然としてパナマ運河の主権を有する状態を変えるものではなく、パナマにとって根本的な解決を意味するものではありませんでした。
1956年にスエズ運河が国有化されると、これに影響を受けたパナマのナショナリズムが再燃し、運河地帯でのパナマ国旗掲揚を巡り暴動が発生しました。この状況の中で、アイゼンハワー政権は指定された地域でのパナマ国旗掲揚を認める決定をくだすことで、沈静化をはかりました。その後、1977年にカーター政権下で締結された条約で、運河の主権がパナマに存することが規定され、運河は1999年になってようやくパナマに返還されることになりました。
本コレクションは米国国務省の外交文書を通じて、パナマ運河が米国の主権下に置かれていた1950年代の両国の関係を浮き彫りにします。
(マイクロ版タイトル:Records of the Department of State Relating to Political Relations Between the United States and Panama, 1950-1959)
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関連分野
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