U.S. Relations with Panama and Operation Just Cause
1980年代のパナマではマヌエル・アントニオ・ノリエガ(Manuel Antonio Noriega)が軍の最高司令官として国政の実権を掌握していました。強権を揮い麻薬取引にも手を染めるノリエガに不快感を抱いた米国は改革を迫り、実行しなければ退陣するよう圧力をかけるようになります。1988年、米国司法省は違法麻薬取引によりノリエガを訴追、レーガン政権はパナマに対する経済制裁を実施します。その後、軍によるクーデタの失敗、ノリエガ派による選挙妨害と反ノリエガ派に対する弾圧、パナマ駐留米軍兵士に対する襲撃事件が続き、ついに1989年12月、米国は大義作戦(Operation Just Cause)の旗を掲げてパナマに侵攻、違法麻薬取引の容疑でノリエガを逮捕しました。米国に身柄を引き渡されたノリエガは裁判で有罪判決を受け収監されました。
本コレクションはノリエガが国政の実権を掌握してから米軍に逮捕されるまでの期間とその前後の期間の米国・パナマ関係をジョージ・H・W・ブッシュ大統領図書館所蔵のホワイトハウスの文書を通して浮き彫りにします。ホワイトハウスの法律顧問局(Counsel’s Office)、大統領経済諮問委員会(Council of Economic Advisers)、国家安全保障会議(National Security Council)、経済政策会議(Economic Policy Council)、議会関係局(Office of Legislative Affairs)、政策開発局(Office of Policy Development)、管理運営局(Office of Management and Administration)、内閣総務局(Office of Cabinet Affairs)、人事局(Office of Personnel)、主席補佐官(Chief of Staff)、公共連絡局(Office of Public Liaison)、政府間業務局(Office of Intergovernmental Affairs)、報道局(Press Office)、スピーチライター局(Office of Speechwriting)、記録管理局(Office of Records Management)のファイルに収録される文書群は、混迷するパナマ情勢を打開する外交努力から軍事進攻計画、軍事進攻、ノリエガ逮捕まで、軍事侵攻の前後を含む一連の経過を克明に記録するとともに、パナマ情勢を巡る他の中南米諸国との関係、経済制裁と軍事侵攻に関わる議会との折衝、軍事侵攻後の民主化支援構想を明らかにします。
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