Records of the Department of State Relating to Political Relations Between the United States and Peru, 1945-1959
本コレクションは米国国立公文書館が所蔵する国務省一般記録群(RG59)の中から、米国国務省の米国とペルーの政治関係に関する外交文書約2,000ページを収録するものです。収録文書は米国国務省在外公館の外交官が国務省と交わした往復書簡です。
1920年代に民族主義、反米、産業国有化をかかげて創設され、中南米諸国で運動を展開したアメリカ人民革命同盟(アプラ党)(Alianza Popular Revolucionaria Americana, APRA)はペルーでは1930年代以降、ペルーアプラ党(Partido Aprista Peruano, PAP)を通じて大きな政治勢力を形成しました。1945年にはアプラ党の支援を得て、ホセ・ルイス・ブスタマンテ(José Luis Bustamante y Rivero)が大統領に就任します。
ブスタマンテ大統領の時代にペルーでは民主化が進みますが、1948年のオドリア将軍(General Manuel A. Odría)のクーデタにより民主化は頓挫します。19世紀以来に地方に割拠した軍人(カウディーリョ)の流れを汲むオドリア将軍は強権的政治体制を敷き、ペルーアプラ党や共産党を非合法化します。
しかし、1956年になるとオドリアは非合法化した政党を合法化し、大統領選挙を実施します。この選挙では、保守派の重鎮で第二次大戦期に大統領を歴任したマヌエル・プラド(Manuel Carlos Prado y Ugarteche)が大統領に返り咲きました。ペルーアプラ党は従来の急進主義政党の立場から軸足を大きく修正し、プラド政権を支持します。この間、米国はペルーを政治的には反共の同盟国、経済的には資源国として位置づけ関係強化を図りました。資源の面ではセロ・デ・パスコ社等の米系企業による石油や鉱物資源の開発と供給が途絶しないよう、関係維持に努めました。
本コレクションは米国国務省の外交文書を通じて、第二次大戦後15年間にわたるペルーと米国の関係を浮き彫りにします。
(マイクロ版タイトル:Records of the Department of State Relating to Political Relations Between the United States and Peru, 1945-1959)
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関連分野
- ラテン系・ラテンアメリカ研究
- 政治学・外交研究