The Diaries of Henry Lewis Stimson, 1909-1945
ヘンリー・ルイス・スティムソン(1867-1950)はタフト政権の陸軍長官、フーバー政権の国務長官、フランクリン・ルーズベルト/トルーマン両政権の陸軍長官と、歴代政権の要職を歴任し、外交・安全保障政策に大きな足跡を残しました。
1920年代にはペルー・チリの国境紛争とニカラグア内戦の調停を行い、1930年代のルーズベルト政権における中南米に対する善隣外交政策の礎を築きました。対アジア政策では満州事変が勃発すると、武力による現状変更を認めない態度を表明するために、合衆国と中華民国の権利を侵害する条約や協定を承認しないとする覚書を日中両国に送付しました。
本コレクションはイェール大学図書館が所蔵するスティムソン日記を収録するものです。スティムソンが日記をつける習慣を始めたのは政界入りする前、弁護士を務めていた42歳の時(1909年)で、自身の公職生活を完全な形で記録に残すという明確な決意からでした。以来、公職から引退する1945年9月21日まで39年間にわたり続けられました。
日記を通覧すると、時期によって精粗がありますが、陸軍長官、国務長官、第一次大戦での砲兵大佐、ニカラグア特使、フィリピン総督といった要職に就いていた時期の日記は詳細な内容になっています。特にフーバー政権の国務長官時代とルーズベルト政権とトルーマン政権の陸軍長官時代にはほとんど毎日つけられているだけでなく、日記の記述を補う補足資料が付されています。この時期のスティムソンは日記用の文章を口述して録音し、翌朝秘書が文字起こしをするというやり方を取っていましたが、口述の際に自宅に持ち帰った公務の文書を関連資料として使っていました。
引退後、日記は自宅で保管されます。余白に残されたメモは大半が、回顧録を準備する時期にスティムソン自身によって記入されたものです。その回顧録(On Active Service in Peace and War)はマクジョージ・バンディの協力を得て1947年に刊行されました。1948年、スティムソンは日記を含む個人文書の寄贈先として母校のイェール大学を選びます。52巻に製本された日記が寄贈されたのはスティムソン死後の1956年です。一部手書きの部分もありますが、大半はタイプ原稿です。
スティムソン日記は20世紀前半の米国政界の重鎮の公務に関する貴重な証言であるとともに、20世紀前半の米国政治外交史に新たな光を当てる貴重なドキュメントです。
*関連資料「ヘンリー・スティムソン文書集 1867-1950年」もあわせてご検討ください。
(マイクロ版タイトル:The Diaries of Henry Lewis Stimson, 1909-1945)
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関連分野
- 植民地主義
- 政治学・外交研究
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