Science in World War II
1940年、ルーズベルト大統領は欧州で勃発した戦争への米国の参戦が迫りくる状況の中、新しい兵器が次々に開発される現状に即した国防体制を構築するためには科学者を総動員する必要があるとの科学者や政府高官の意見を容れ、国防研究委員会(National Defense Research Committee, NDRC)を発足させました。翌年には科学研究開発局(Office of Scientific Research and Development, OSRD)が創設、国防研究委員会はこの傘もとに置かれ、科学に政府が関与するための政府組織の再編が進みました。
こうして、戦争を遂行するために必要な研究を評価し、その研究を遂行するのに相応しい科学者と企業を採用し、必要な資金を提供する役割を政府が担い、資金と研究環境を提供された科学者は政府の方針のもとで研究に従事する戦時科学動員体制が構築されました。この体制のもとで進められた科学研究を代表するものが原子爆弾の開発・製造計画(マンハッタン計画)です。
戦時科学動員体制を構築するのに決定的に重要な役割を担った人物がヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)です。ブッシュはルーズベルト大統領に国防研究委員会の発足を進言した中心人物で、同委員会の委員長、科学研究開発局の局長として、科学者の戦時動員を行政面、運営面から指揮しました。
ブッシュは、大戦末期に『科学:無限のフロンティア(Science: The Endless Frontier)』と題した報告書をトルーマン大統領に提出しました。今やアメリカは世界最先端の科学技術国となり、国家が基礎科学を育成し、基礎科学の育成を通じて、新製品の開発、新産業の創出を支援しなければならないと説いた報告書は、科学と国家の政策の関係を定めたグランドデザインとして、戦後アメリカ科学技術政策の原点となり、米国内のみならず世界各国に多大な影響を及ぼしました。
本コレクションは、戦時下の国防研究委員会や科学研究開発局やこれらの機関に関与した科学者の活動を紹介した叢書『第二次大戦の科学(Science in World War II)』の出版物とブッシュの報告書『科学:無限のフロンティア』を収録するものです。各出版物には、ブッシュのほか、ブッシュとともに戦時科学動員体制を指揮したリチャード・トルマン(Richard C. Tolman)、ジェイムズ・コナント(James B. Conant)、カール・コンプトン(Karl T. Compton)らが序文を寄せています。
(マイクロ版タイトル:Science in World War II)
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